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建長寺研修会レポート

講師:三ツ井修司和尚

「三ツ井和尚様」 建長寺
正式名は巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)。臨済宗建長寺派大本山。後深草天皇の勅を奉じ、開基檀那は北条時頼、開山は蘭渓道隆。本年で創建754年目。純粋な禅寺としては初めてのもので、国が興した禅の寺である。鎌倉五山の第一位。「五山」とは、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の五ヶ寺。室町期1386年に足利義満が定めた。総門、三門、仏殿と一直線の中国式伽藍配置。

総門
山号を巨福山(こふくさん)という。総門(禅寺の表門)上の建長寺の看板ともいえる「巨福山」は「巨」の文字の第三画の下に、「点」が書き加えられているが、第十世住持、一山一寧(いっさんいちねい)がこの点があることによって、百貫の価値を添え、ひいては無限の価値のある寺の意を表すとして書き加えたとされている。

「三門」 三門(国重要文化財)
山門とも書くが、禅宗では三門。三門とは三解脱門の意。三解脱とは「空・無相・無作」の三つの解脱を意味する、すなわちあらゆる執着や迷いから解き放なされること。創建当時は倍の大きさ。重層門(二階建て)で、上層には五百羅漢像と釈迦如来像が安置されているが、非公開。創建当初のものは何度か倒壊修復を繰り返し、1775年に第201世住職の万拙碩誼(ばんせつせきぎ)和尚の努力により現在のものが落成。万拙和尚は熱心に浄財を集めて再建したので、狸和尚の伝説を生んだ。

梵鐘(国宝)
三門右手の鐘楼にかけられている梵鐘は、1225年に鋳造されたもので、創建当時の数少ない遺品の一つ。重さは2.7t。国宝。いまだに朝夕撞かれているし、開山である蘭渓道隆の月命日や法要などの際、和尚の呼び寄せのためにも撞かれる。

柏槇(びゃくしん/和名いぶき)
仏殿前の柏槇の古木は750年前の開山・蘭渓道隆お手植えの木。梵鐘とともに創建時の数少ない遺品の一つ。

仏殿
本堂。本尊は地蔵菩薩。普通は釈迦如来がほとんどで、地蔵菩薩は珍しい。この地は地獄谷と呼ばれる刑場で、そこに地蔵菩薩をまつる伽羅陀山心平寺(きゃらださんしんぺいじ)という寺があった。時頼は戦いで手を血に染めた自分自身を救うために、この地蔵菩薩を本尊とした。現在のものは1647年芝増上寺の霊屋を移築したもの。

法堂(はっとう)
住職が法を説く場所。行事がある時以外は特別に拝観できる。現在は千手観音像を安置。1814年に再建。法堂としては関東一の大きさ。釈迦の苦行像がある。天井には750周年の時の小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯による一匹の長い龍の「雲龍図」。龍は雨を降らす、つまり法の雨を降らすの意。

唐門
方丈入口の門。屋根が唐破風の曲線を描く門のことで中国式という意味ではない。

方丈
「龍王殿」とも呼ばれる。宝冠釈迦如来像を安置する。檀家の法要等に使用。

「半僧坊に至る階段」 半僧坊(はんそうぼう)
境内奥の参道を進み、約250段の石段を登ると、建長寺の守護神、半僧坊大権現のお社。途中の石段脇には鉄製の天狗像が立ち並ぶ。お社のある頂上は天気がよければ鎌倉の海や富士山も見渡せて、ハイキングコースに続く。

(徳重 富士子)

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