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丹波篠山

京都、神戸、大阪から60km。多紀連山などの山々に囲まれた盆地に丹波篠山という城下町があります。「デカンショ、デカンショで半年暮らす、アーヨイヨイ」で始まるデカンショ節発祥の地であり、現在、人口は4万6千人です。篠山城のほか丹波古陶館、青山歴史村、歴史美術館など文化財の豊富な町で、2009年の篠山城築城400年祭に向け様々なイベントが計画されています。

篠山城
「大書院」 篠山城は1609年(慶長14)に徳川家康が西国15カ国の20人の大名を動員してわずか半年で建てさせた所謂「天下普請のお城」です。そこに家康の実子(落胤?)松平康重が入城してきました。康重は大阪冬の陣、夏の陣ではここから大阪城攻撃に出陣したのです。篠山藩は5万石の領地で、徳川譜代大名が西日本の外様大名を監視し、牽制する役目を果していました。
1873年(明治6)の廃城令によって篠山城は取り壊しになりましたが、地元の陳情により大書院だけは残されました。残念ながら1944年焼失し、現在の大書院は2000年に総工費12億円(内3億円は市民の寄付金)をかけて復元されたものです。

「上段の間」 大書院は将軍が上洛した際の宿所として使われた第一級の建築物であるニ条城の遠侍の間を模したといわれています。総檜造り、面積は約740平方メートルです。最も重要な部屋が「上段の間」(21畳)で、床の間、付け書院、違い棚、帳台構を備えた立派な書院造りの部屋です。襖の絵は江戸初期の狩野派の絵師によるものです。

篠山城大書院 篠山市北新町2−3 TEL (079)552-4500 入場料 大人\400 休日(月曜日)

兵庫陶芸美術館
「兵庫陶芸美術館1」 2005年10月にできた新しくてモダンな建物です。展示棟には、1階に2室、2階に2室、B1階に1室の合計5室の展示室があり、エントランス棟3階から入ったところは展示棟の1階にあたります。ここで特別展と所蔵品展が開催されています。この美術館の収蔵品は、もともと(財)兵庫陶芸館にあったものをここに移したものです。全但〈ぜんたん〉バス株式会社の当時の社長であった田中寛〈たなかひろし〉氏(1904〜81)のコレクション陶磁器約900点が中心です。今回の特別展では、「五陶地の焼き物」と題して、丹波、但馬、摂津、播磨、淡路の焼き物が紹介されていました。
その内の丹波焼は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、その発祥は平安時代末期から鎌倉時代の初めと言われています。桃山時代までは「穴窯」が使用されていましたが、1611年頃 朝鮮式半地上の「登り窯」が導入され、同時期に取り入れられた蹴りロクロ(日本では珍しい立杭独特の左回転ロクロ)と共に、その伝統技術を今日に受け継いでいます。今回は、丹波焼Iと題して、鎌倉時代から室町時代までのものを展示していました。この穴窯時代の焼き物は、紐(ひも)造りロクロ仕上げで、人工的な釉薬(ゆうやく)は使われず、穴窯の中で長時間焼かれることにより、燃えた薪の灰が焼成中に器に降りかかり、原土の中に含まれた鉄分と融け合い、高温でガラス化し緑色や鳶色を自然発色しています。これが自然釉(ビードロ釉)といわれるもので、穴窯時代の丹波焼の特徴をなしています。

「兵庫陶芸美術館2」 壷は、主に水や穀物、藍などの貯蔵器としてつくられました。また能舞台の下において、音響としても使われました。名称については、穴窯時代は小野原焼、登り窯時代になってからは、「丹波焼」又は「立杭焼」と呼ばれてきましたが、1978年「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品指定を受けました。今回の丹波焼の展示は、壷が中心。明るい赤褐色の肌に緑色の自然釉、「猫掻き」とよばれる縦方向の調整痕があるものが美しく心を魅かれました。自然釉の丹波焼は、素朴で落ち着きます。

兵庫県陶芸美術館 〒669-2135 篠山市今田町上立杭4 TEL:079-597-3961
平日・日曜 10時〜19時  金曜・土曜 10時〜21時 一般¥800 休日(月曜日)

(櫛木 外志子)(吉田 淳子)

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