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高野山:密教と壇上伽藍

講師:村上保壽先生
報恩院にて講義を受ける

密教
講師の村上先生 弘法大師が中国で密教の経典・瞑想行を学び、帰国後、密教と顕教について書き記した。顕教には小乗と大乗がある。小乗は現在のミャンマー・タイ・スリランカなど主に東南アジアの仏教だが、現在は部派仏教・上座部仏教と言われる。一方大乗には三論・法相・天台・華厳・浄土宗・浄土真宗がある。但し、宗とは現在の宗教法人の「宗」とは異なり、昔は「学」を意味した。例えば天台宗とは天台学で真言宗は真言学である。

三論宗は「空」について語っている。天台と法華は三論を基本にして出来上がっている。三論の寺は大安寺。法相宗(ほっそうしゅう)は存在しているもの、心(識)のあり方について語る。視覚・聴覚・味覚・触覚も一つの識である。心の分析をすると8つの相まである。法相の寺は興福寺・東大寺がある。尚、東大寺にはかつて唯一の写経所があり、写経生が写して、国分寺・国文尼寺に配った。

壇上伽藍
中門 現在は礎石のみが残る。5年後に開創1200年になるので、再建予定。その際土を盛るが、文化財なので礎石は保存する。門とは結界している入り口だから、門がないということは聖なる壇上に穴が開いていることになる。中門は奈良の寺院とは違う建て方で、尾根に沿って建てられていた。

金堂 お堂には仏様が座っているから、右肩を仏様に向けて時計回りに回るのが礼儀である。よって袈裟は右肩を出している。
大正天皇の大喪の前日火災が発生し、1200年前からあった仏像が燃えてしまった。現在の仏像は昭和時代に作られた。薬師如来は秘仏である。不動明王は剣を持つ。降三世明王は過去・現在・未来を退治する。曼荼羅は右側の東が胎蔵で、左側の西が金剛界である。

六角経蔵 六角経蔵 六角は死者と結び付けている。美福門院得子が平安時代に寄付した。維持費として紀伊国荒川荘を寄進した。内部に一切経蔵が入っていたが、今は入っていない。摩尼車で経典を中に入れて回す。下についている取っ手で回せるが、かなり力がいる。

御社 1200年前丹生都比売の領地だったが、弘法大師が丹生都比売からもらった。犬を2匹連れた高野明神(狩人)は弘法大師に会うと、高野山上まで案内してくれた。今昔物語・鎌倉初期の重要文化財では黒犬2匹、鎌倉の終わりから室町になると黒犬1匹、白犬1匹になっている。黒・白という対にする感覚がその頃に生まれた。この時代は神様の力が落ちて、仏教に助けを求め始めた。神道には教義がないので、弘法大師が来るのを待っていて、土地を差し上げた。お釈迦さんの頃から、経典「涅槃経」に地主神や氏神を祀るように書かれている。境内では寺院が地主神や氏神を祀ってある。密教寺院では氏神社を祀っているものが多い。

山王院 室町の南北朝時代、お坊さんが全く勉強しなくなった。ある若い僧の夢枕に明神様が現れて、「そんなに勉強しないのなら、私は山を下りる。」と言われて以来、一生懸命勉強するようになった。学問の道(学道)が室町から又新たに始まった。その学道の伝統が今も続いている。毎月2回(1日、16日)行われる。山内の住職が経典の読み方・唱え方・称名等を順番に24、5年かけて勉強する。

御影堂 御影堂 真如親王が弘法大師を描いた。毎日8時から16時までの間に山内住職が順番に拝んでいる。一般公開なし。

三鈷の松 中国の密教を広める根拠地を示してくれと願い、弘法大師が投げた三鈷が紫の雲に乗って日本に飛んでいった。高野明神が案内してくれたのがここである。しかし、密教の中心が高野山になるのは他の寺が面白くないというので、三鈷を三個投げたことにして、東寺と土佐の室戸にも落ちたことになっている。

根本大塔 7回焼失している。昭和12年再建される。5体の仏あり。真ん中が胎蔵大日如来である。印により何の仏か分かる。人差し指を握っているのは金剛界の大日如来。四方に金剛界四仏を置いている。阿しゅく如来から四仏が生まれてくる。仏から仏を生む女性が登場してくるのが密教である。チベット仏教は女性が主流となってくるので、曼荼羅には母が描かれている。お供え物には、精進具として芋・大根・人参を斜めに切って供えてある。

蛇腹道 十六大菩薩が16本の柱に描かれている。一つの仏から東西南北に四つ。
宝生如来:あらゆるものは宝を持っていて、価値のない物はない。

蛇腹道を歩いて、壇上伽藍から金剛峰寺に向かう。

(蟹江 伸子)

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