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震災とガイド体験−東北ボランティア隊

富士山をバックに 2011年3月11日、アメリカ人のお客様のツアーに添乗中、東京で地震に遭いました。震度5強の揺れは大きく、地震に慣れないお客様はいっとき呆然としていましたが、旅行会社からの指示はツアー続行。ならば、参加者が不安を感じない楽しい旅にすることがガイドの務めと腹をくくりました。地震・津波の被害状況、原発事故による放射能汚染の情報は深夜にテレビで入手し、翌朝必要な情報だけを伝えて、昼間はなるべく笑顔で観光先を案内するように努めました。二日後、東京を離れて箱根に向かう途中、美しく輝く富士山の姿を見たときはお客様も笑顔に。「富士山が、日本は大丈夫と言っているみたいね」という誰かの声に皆が「Oh,Yes!」と頷きました。 その後箱根、金沢、京都と移動してお客様を関西国際空港で見送ったときは、緊張の糸が切れて涙の別れとなりました。

東京に戻って毎日の報道を見ていると、あらためて、被災地の状況の厳しさに心が痛みます。通訳ガイドにとって桜の時期は一年で最も忙しい時期であるはずが、予定のツアーはすべてキャンセルとなり、時間には余裕ができました。何か自分にできることはないだろうかと思いながら日々が過ぎていく頃に、JFG理事長が「東北ボランティア隊」を募り、石巻へ隊を率いてくださるというありがたい知らせが舞い込みました。石巻までバスで往復し、2泊3日で被災地の清掃、片付け作業に参加しました。
私達が作業した雄勝湾の水浜地区は、海岸の家々は津波で流され、小高い丘の上にある古い幼稚園が避難所になっていました。お手洗いを借りにここへお邪魔したときには、命以外のほとんどすべてを失った方々になんと声をかけてよいかわからず、「申し訳ありません、お邪魔します」と言ってからは沈黙のまま。けれど、外へ出たときに目に飛び込んできた海岸線の景色はあまりに美しく、思わず「きれいなところですね」と溜め息のような言葉が出ました。避難されていた女性はポツリと「海にみんな持っていかれたけどねぇ」とおっしゃいました。この時の青く澄んだ海、新緑萌える山の景色を今も忘れることができません。

ボランティア作業 9月に入って秋の観光シーズンが近づいても、原発事故の影響は色濃く、例年のツアーの仕事は戻りません。そんな時、外国人による東北へのボランティア隊に添乗して欲しいという依頼が来ました。アメリカ、オーストラリア、カナダ、デンマークからのお客様と一緒に石巻でボランティアをする3泊4日のツアーを喜んで引き受けました。

一行は2日間、牡鹿半島先端の漁村で、津波で剥がされた海辺のアスファルト舗装をやり直しました。残暑の厳しい頃で、気温は34℃。強い日差しの下で汗だくになって作業をした後、海岸線に並んで海を眺めながらお弁当を食べたときは、潮風が心地よかった。そして、眼前に広がる海の遥か向こうから集まってくれた人々が、日本の復興を祈り、手伝ってくれることが有難く、胸が熱くなりました。
翌日の作業は、津波で多くの小学生が亡くなった大川小学校近くの体育館で、思い出の品のクリーニングでした。持ち主はもういないかもしれない通学用のヘルメット。ご両親が取りにみえるときのために、心をこめて磨きました。海水で変色しかかった写真を一枚一枚洗いながら、皆で「この写真の中にいる人が、全員無事だといいね」と話しました。

2011年は通訳ガイドにとっても厳しい年となりました。震災と原発事故の風評被害によるツアーの激減で、私達の職業も存続の危機にあると言われています。けれど、近い将来にたくさんのツアーが戻ってきてくれることを祈りながら待ちたいと思います。

(高橋 直子)

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