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津和野

老子は理想の生き方とは水のようなものだと言った。まず、水は相手に逆らわず相手次第でいかようにも対応できる柔軟性を備えている。次に、水は低きに低きにと流れていき、人間の謙虚なあり方を体現している。第三に、水は弱さに徹しているからだと。

鯉 私には心が折れたり疲れてきたら出かける場所がある。結城紬などを着流し、すっとここの殿町に立つと、ここに住む人より多いのではないかと思う鯉たちと季節の花々が私を優しく迎えてくれる。そう、そこの角から大名行列が出てきたりして。そこは津和野だ。まず津和野駅に降り立つとご家族で経営しているお宿に荷物を置き、私は隣の美術館へ行く。昔の小学校の校舎、プラネタリウム、何より優しく穏やかな安野光雅氏の絵画が私に‘お帰り’と声をかけてくれる。

津和野川 何より津和野で私が好きなのは津和野川だ。この川は人間が住んでいる位置よりとても低いところを流れ、人々を下支えしている。流れに沿って、森鴎外の住居を訪ねると、なぜ鴎外が亡くなる直前に‘馬鹿馬鹿しい’と3回も言って果てたのかがわかるような気がするのだ。軍医であるが故好きな文筆活動はままならず、愛する人と結ばれず、大好きな津和野のこの住居にはついぞ帰って来られなかった。想いのままを生きられない彼を津和野川が静かに彼の奥で支えてきたように思う。
川を渡ると反対側に西周の家がある。家といっても寝食を惜しんで勉学に勤しんでいた土蔵だ。ここを見るたびに自らの不勉強を恥じることとなるのだが。西周は鴎外の師であり大政奉還時徳川慶喜に進言をした人でもあり、なにより彼の言に‘キリスト教を迫害するような国は大した国にはなれぬ。’とあるように、この時期以降キリスト教は認められていく。とはいえ、歩みを戻し、山を少し上がると乙女峠マリア聖堂があり、ここでは150人くらいのクリスチャンが明治元年に連れて来られ、拷問、処刑されたという悲しい爪痕を見ることになる。
気持ちを入れ替え、和紙作りをしてみる。お客様もお連れしていないのに通訳ガイドだと言うと無料にしてくださり、大きな紙を作らせてくれた。一句書けばと言われながら、四苦八苦してなんとかそこを逃れ空腹を覚えた私は、ここの暖かい郷土料理、‘津和野の芋煮’を頂き、ホクホクに。

芋煮 何気ない非日常に心がゆっくりと癒されていく。きっとまた来よう。今度はどの着物を着てあの武家屋敷を回ろうかな、あ、きっと絽か紗にしよう。いまから思い巡らせて、思案しては胸を躍らせる。また頑張って生きていこう。まっすぐ生きていこう。
常に低いところ低いところを流れる水のように、弱くとも優しい誰の心にでも添えるそのようなお仕事をこれからもさせて頂こう。津和野川よ、待っていてね。
東西800m、南北3kmの津和野は一日で十分回れる。萩と一括りにされ、通過点としてツアーに組み込まれがちだが、ゆっくり1日時間を取って出かけると津和野川から必ず癒しを頂けるのだ。津和野とはそういうところなのだ。

(山本 直美)

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