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ほとけの姿・慈悲のこころ

仏師の西村公朝氏 仏師の西村公朝氏を講師としてお招きし、「ほとけの姿・慈悲のこころ」というテーマで研修会を行いました。ここでは、参加者から出された主な質問と、その回答をご紹介します。

弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7千万年のちに現れるとされますが、その根拠は何ですか? 分らない。仏教では例えば三千諸仏と言うが、これは3000の仏の意味ではなく、無数という意味である。このほか八萬四千や56億7千万も同じく無数という事を表している。

両界曼陀羅図についてご説明をお願いします。 大勢の仏を集合写真に撮ってその名前を薄紙の上から書いていくと、それが胎蔵界という事になる。次いで、それぞれの仏の働きを、薄紙の上からそれぞれの仏の上に書いていくと、それが金剛界という事になる。 そしてこの薄紙の両方を広げたら、両界曼陀羅図になる。

ご本尊の光背に付いている沢山の小さな仏様についてご説明をお願いします。 小さな仏様は化仏というが、色々な仏様がおられるので、代表的な例を述べる。
唐招提寺の盧舎那仏の場合は、その肉髻珠(にっけいしゅ)から生み出された1000体のお釈迦様であり、これを千釈迦という。

如来、菩薩、明王、四天王などの位置付けや特徴についてご説明をお願いします。 如来 苦行をして悟りを開いた存在で、自分で悟ったものを衆生に教えてくれる。例えば釈迦如来は慈悲心を持つようにと教えてくれる。
菩薩 努力して如来の境地を目指している存在で、慈悲を旨とし、自分の身を犠牲にして、衆生を救ってくれる。
明王 衆生がそれぞれの問題を自分で乗り切る為の、エネルギーを与えてくれる存在。
天部 如来、菩薩、明王などを守る守護神。

三十三間堂の二十八部衆と風神、雷神についてご説明をお願いします。 インドの元々の神々が仏教を守る神に変わっていったが、二十八部衆は千手観音を守る神々である。風神、雷神はその前衛部隊の兵隊にあたる。風神は風で掃除をし、雷神は太鼓を持って観音様のお出ましを知らせるのである。

東大寺の仁王について、多くの仏師の合作であったと聞きますが、ご解説をお願いします。 今回の修復事業で阿形は運慶、快慶の作、吽形は運慶の弟子の作という銘記が出たが、次の様に考えた方がよい。運慶は全体の棟梁であるので、両方の指図をする立場にあった。 阿形は快慶に任せたので、二人の名前があるからといって二人で彫った訳ではなく、快慶の作と考えられる。吽形は運慶の指導のもと弟子達が彫ったのであるから運慶の作と考えても間違いではない。

寄木作りは鎌倉時代の特徴と思いますが、寄木作りや一木作りの時代背景をお教え下さい。 寄木作りは平安中頃に始まった。平等院の阿弥陀如来像からと考えてよい。それ以前は一木作りであった。一木作りとは首と胴体を一緒に彫りだしているものをいう。したがって膝などを足しているものは、一木作りだが、 膝を寄せているといい、寄木作りとはいわぬ。

三十三間堂の千手観音や二十八部衆像は、建長元年の火災の際どれくらい救出されたのですか。 千手観音は記録では150体持ち出したとあるが、使えぬものもあったと思われ、現在平安期のものと判断されるのは124体である。二十八部衆(風神、雷神含める)については、学会でも諸説あり、今のところ鎌倉時代のものであるという事しかいえない。

鎌倉時代の東大寺再建時、運慶が作った10米以上の仏像6体は、いつ焼失したのですか。 戦国時代、松永と三好の小競り合いの際、飛び火が回廊に移り、大仏殿ともども焼失してしまった。

(小泉 容造)

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