名古屋城

名古屋城管理事務所にて学芸員の木村有作氏を講師とし、「石垣」を中心とした名古屋城の講義を受けた。 講義のあと木村氏を先頭に石垣を実際に見学しながら、さらに細かい説明を聞く。 寒い中石垣を修復する現場も見て、大変な作業であることを実感する。

「名古屋城」 1名古屋城築城の背景
徳川家康による築城決定は1609年。1610年から石垣普請開始。約8カ月という短期間で石垣は完成。 豊臣氏子飼いの外様大名20家が石垣作りを担当。天下普請といって、天下に号令する形で命じた。 外様大名に経済的負担を与え競争的環境を設定し、大名同士が手を組まないようにした。 名古屋城は総面積250000平方メートルの大規模な平城であるが、万一の場合には戦闘可能な城で、豊臣氏が滅ぶ前の段階に作られた事情を反映している。 名古屋城の敷地内には加藤清正の像があるが、現在の名古屋市中村区出身の彼は英雄視されていた。 あとづけの形でいろいろな逸話(清正石など)が誕生したと考えられる。

2本丸御殿復元プロジェクト
名古屋市は、築城400年後の2010年をめざして本丸御殿の復元を開始。 もともとは尾張徳川家の始祖である義直の住居で、3000平方メートルという広い御殿。 義直が二の丸に引っ越してからは徳川家光の上洛時に使用されたのみ。 今回はこの上洛時の御殿を再現。工事中には3mの鉄製の塀が作られてしまうが、できた順に公開される。 工事開始は平成21年1月19日。

3名古屋城の石垣
「石垣」 勾配のついた美しいラインの石垣は日本特有のもの。 名古屋城北側の算木積み(角の部分に巨石を交互に積む)は、下から5、6段目の石が特に大きい。 全体の構造は乱積み・打込接(うちこみはぎ)で、横方向の石の列が乱れる積み方。 石は少し奥まったところでがっちりと組み合わされているが、表面に隙間が多い印象。 あいだの石には重量がかかっていないため容易にはずれてしまう。 石垣の裏には栗石(別名、五郎太石・ごろたいし)という小さい石が詰められている。 大名たちは各領地の産地から運んできた石に証拠として刻印をきざんだ。石の数は50p四方で概算すると総計10万個から20万個に相当する。 積み方が汚いという評もあるが、頑丈で機能的な石垣であると木村氏は力説。

「庭園」 4二の丸庭園
最後に二の丸庭園に移動。落ち葉が一面に敷き詰められ、赤い落ち葉、黄色い落ち葉の対象が美しい。 庭園には石橋(能の「石橋・しゃっきょう」がモチーフ)が架けられ、水こそないが池もある。 築山も配置され、庭園として完成された造形美である。


(渡邉昭子)

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