大阪の歴史

博物館ホール 大阪歴史博物館

この博物館の一帯の地下には古墳時代の大型倉庫群と飛鳥時代の前期難波宮が眠っている。13階建て。総事業費340 億円。エントランスホールから一気に10階へ、10階から7階まで階を降りる毎に時代も下って、縄文時代から現代までの 大阪の歴史が、石器、埴輪、木簡などの実物展示と模型や図表によって解説されている。古代の都人の立体模型、 映像、音響効果を駆使。基本的情報は中国語、韓国語、英語でも。新時代の博物館。


大阪についての講義

展示されて
いる人形1 河内湾から河内湖へ
淀川などの土砂が流入、上町台地の先端部に砂嘴。大阪環状線「森の宮」には上層が蜆、下層が蛤の貝塚がある。

大阪は都への入り口、"玄関"だった
瀬戸内海航路の終点に位置し、先進文物はまず"玄関"難波に上陸した。朝廷の使者たちも難波津から中国、朝鮮 半島へ、かの地の使者も難波津に第一歩を記した。

神功皇后伝説と住吉大社
神功皇后は新羅遠征時に「古事記」由来の三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の助けを借りて凱旋。神功皇后 「息長足姫」も三神とともに住吉大社に祀られている。

「石山本願寺」と「大阪城」
僧、蓮如によって上町台地に創建された石山本願寺の寺地は、当時は四方が水の要害の地。信長が欲したその地に 秀吉が大阪城を築城、城下町となし大阪の発展のもとになる。

展示されている人形2 水の都・天下の台所
江戸初期に縦横に張りめぐらされた運河網(堀川群)と大きな河川の各下流など発達した水運により、大阪にヒト、 モノ、カネが集中するようになる。各藩は蔵屋敷を建てて国元の産物を商品に。日本経済の中心をなし大阪は商業 都市として発展する。

千日前・道頓堀
「安井道頓」が開削を始め、「安井道ト」が完成して芝居小屋を誘致する。千日前は、刑場と焼き場、墓場だった ところ。面白いものを、と猿芝居、サーカスが興行され、やがて歓楽街に。

ある神社のちょっといいお話
堺市百舌鳥八幡神社にある樹齢800年の楠の、危険になった下枝をある工夫により伐採を避けているお話。

まとめ
「大阪の歴史は上町台地に」に集約されないだろうか。

文:吉野 哲子


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