煎茶道について

私達が「茶道」と言う言葉を耳にする時、「表千家」「裏千家」「武者小路千家」など、 普通は抹茶を思い浮かべます。しかし日本人が家庭や職場で「お茶を飲む」と言えば抹 茶ではなくて、圧倒的に煎茶のことでしょう。そこで今回「煎茶道」について紹介します。

萬福寺大雄宝殿 1.歴史
日本における煎茶道の歴史は、抹茶に比べるとかなり新しく、江戸時代の中期ごろと考 えられる。明朝末期・清朝初期の中国文化が日本に紹介されたのは、隠元禅師来日の時 であった。彼は後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て、1661年に宇治に黄檗山 萬福寺(添付写真参照)を開山した。そこを基点として中国文人趣味が京都の限られた上 層階級に広まっていくとともに、「煎茶」という抹茶に代わる新しい茶の飲み方が普及 したものと考えられる。

2.煎茶道と関わりを持つ歴史上の人物
高遊外売茶翁は煎茶を通して人の道・生き方を示した。煎茶道の精神・方向の基礎を 作った事でこの道の「中興の祖」と仰がれている。(「祖」は隠元) 池大雅、上田秋成、与謝蕪村、頼山陽、富岡鉄斎、橋本関雪など大勢の文人にも煎茶道は愛された。

3.茶道と煎茶道
煎茶は型や物よりも自由な精神を重んじ、煎茶を味わいながら人との対話や書画を楽 しむ。茶道の精神が「和敬清寂」ならば、煎茶道の精神は「離俗清風」「和敬清風」 「和敬清雅」といった言葉で表現される。心に描くものも前者が「雪月花」であれば、 後者は「雪月風花」と微妙な違いがある。宗教的背景は、茶道が臨済宗大徳寺派(大 徳寺)に対して、煎茶道は黄檗宗(萬福寺)と、共に禅宗を基としている
両者は「茶禅一味」として共存しつつ、歴史的背景として格式と形式を重んじ「侘び・ さび」を精神基盤とする茶の湯=抹茶=茶道に対し、煎茶道はその自由な中に中国文人 趣味の影響を残し、あくまで清風を基調としている。 茶道と煎茶道は茶葉の違いによってもそれぞれの道を歩んでいる。

4.お茶会
服装:煎茶会は自由で気取りのない催しなので、そんなに堅く考えずにそれなりの服装でよい。
茶室:抹茶室はにじり口のある小さな部屋であるのに対し、煎茶室はもともと書院で行われて いたので明るく広々とした部屋である。
煎茶席:入室の順番などは決まっていないので、並んだ順に部屋に入り、部屋に入ったら 正客から順に座る。ただし初めての方や不慣れな方は、年配の方に正客を譲られる方が良 いだろう。
なぜなら正客は客のリーダー的存在で、床飾りや茶器など茶席の趣向を席主と 応対するために、それなりの知識と経験が必要だからである。 お手前が始まったら、すぐお菓子が出される。煎茶の場合、二煎出るので、お菓子は一煎 目と二煎目の間にいただく。一煎目が出されたら、2〜3口に分けて飲む。口の中にさわ 萬福寺お茶室 やかな甘味が広がる。この後でお菓子をいただく。 二煎目は少し苦味がある。二煎目をいただいた後は、まず茶碗を、次に茶托を拝見する。 席主が茶器に関する一応の説明をしてくれるが、何か質問があれば遠慮なく聞いてかまわ ない。客と席主の楽しい応対が煎茶席の醍醐味でもある。
煎茶席は開放的で自由な雰囲気の中で、主客が共に大いに楽しむことを大切にする。かつ ての文人たちのように、煎茶を味わいながら詩作をし、書画を語り、あるいは筆を持ち、 ときには曲を奏でるといった風雅な世界を楽しむのである。


(稲盛泰代)
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