前職について
前職は寿司屋。寿司屋から通訳案内士という奇妙な転職である。
寿司屋も通訳案内士も自由意志でなったものなのだが、そこに共通するのは人との「ご縁」のようなものがあったように思う。
工学部で食品添加物の分析、主に化学調味料の高温加熱生成物の発がん性を調べていた。
卒業後、ある外食産業に保存食開発要員として入社したが、当時新入社員は一度現場を経験する事になっていた。
配属されたのは「寿司部門」。たたき上げの職人さんの手ほどきを受けた。最初、きゅうり一本をロクにまっすぐに切れなかった。
「大卒にこんな事をやらせるな」と不満をもらす同期もいたが、私は逆に「大学を出てきゅうり一本まともに切れないのか」と皮肉でもなく可笑しかった。
(もし今、無人島に漂着したら、生きながらえるのは間違いなくこの職人さんの方だ・・・)
そんな馬鹿げたことも空想しながら、とにかく教えてもらえるなら何でも教えてもらい技を盗んでやろうと素直に教えを乞うた。
その技術指導をしてくれた職人さんが飛びぬけた人使いの名人で、結局、人使いから経営まで仕込んでもらい「寿司部門」にとどまる事となった。
やがてひとつのチェーン店の運営を任されるようになり、その後20代で独立。
およそ20年何とかのれんを維持したが、商店街に見られる現代の個人経営の限界を悟り自らその幕を引いた。
そして通訳案内士へ
何か資格を取ろうと店を閉める数年前から好きな英語の猛勉強を開始、足掛け5年を費やし通訳案内士免許を取得。
たまたま出席したJFGの説明会で、誇りを持って活躍されている「プロ」に出会った。話に感動し魅了された。
自分の中の好奇心に火が付いた。自分もやってみたい、ああなりたいと思った。新たな「ご縁」だった。
仕事をさせてもらえるようになってからは「一本のきゅうり」を忘れず小さな仕事もおろそかにせず大切にしている。
初めての仕事の下見先で出会ったのが当時サッカー日本代表監督のオシム氏。
以後多数の著名人とホテルなどで出くわし、エピソードに事欠かないお客様との出来事と共に、この仕事は好奇心を十二分に満足させ続けてくれている。
職業病
私がガイドをするお客様として多い西洋人は「合理性のない説明には決して納得しない」。
いつしか「なぜ?」「どうして?」と考えるのが習性となった。
先日、茶道を教えている知人(年配の京都人)に作法その他についてこまごまと質問したら、
「へえー、西洋のお方はそんなことをたんねはるんですか?
日本の芸事はお師匠さんがいわはる通りにやらはったらええのです」と機嫌を損ねてしまった。
あわてて日本人に戻り?その場を取り繕い機嫌を直してもらった。
(理屈を説明出来ねばこちらは商売が成り立たない・・・)と思いつつも、そう言えば、
昔の日本人にとって師匠に理屈を尋ねることなど「反抗」に等しい事だったんだと日本人の特異な一面を再認識した。
逆に西洋人では質問される事が嬉しい人が多いようで、お客様の国籍がわかっている場合はその国に関する質問を用意しておく。
するとお客様は母国に関心を示してくれたと好意的になってくださり、こちらも知識が増えて一石二鳥である。
法然をスコットランド人に説明する際、引き合いに出すJ ・ノックスについては書物に出ていない事もお客様からずいぶん教わった。
現在の取り組み&テーマなど
「お客様第一」の商売人気質がそうさせるのか「技量のなさ」を誠意と「お客様を知る事」で何とか凌いでやってきた。
不要になった食品サンプルの寿司は少しずつお客様に差し上げ、いつしか全てが海外へと嫁いだ。
常にお客様の国を研究し、その文化的枠組みから見えてくる日本を考え続けてきた。
「当時J ・チョーサーは57歳でした」とは英国人に北山殿(金閣)の創建を説明するとき。
関ヶ原は米国人には「それはゲティーズバーグの戦い」。
二条城の二の丸御殿では英国のお客様なら、生まれ年が3歳違いで同時期に活躍した宮廷画家ヴァン・ダイクと奥絵師・探幽の生涯の比較説明から始め、
世襲制を皮切りに徳川が編み出し採用した全てのシステムが
「徳川家のお家安泰と存続という一点の主題」につながることを雁行の廊下を進みつつお客様の文化の「土俵」に持ち込み説明することを心がけている。
お客様からの質問ほど貴重なものは無く、次回その質問の合理的回答が主題であるプレゼンを作成しておけば100%満足いただける。
興味深い質問に回答する形になるので、面白いはずである。
ヴィジュアル的に美しいものや珍しいものを見てもらい「目を喜ばせる」のか知的欲求を満たして「耳を喜ばせる」のかはともかく、
通訳案内士に要るのはお客様第一の精神。
回り道をしてたどり着いたが、その精神を培ったこれまでの人生は無駄ではなかったと確信している。
通訳案内士になっていなければ、これ程深く日本を知る事もその努力もせず人生を終えていたに違いない。
今、本当にこの仕事には感謝している。
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