我々JFGはこの12月2日に観光バスで岡山、広島、宮島へと一泊二日の研修旅行に出かけました。
バス内ではバスガイドさんの説明ならぬ、わがJFGガイドによる日ごろのガイド業務に関する勉
強の成果を発表したり、将来の営業につながる自己紹介を行ったり、懸命に自分をアピールしたり、
楽しく実りの多い2日間でした。1日目は岡山の後楽園、広島平和記念公園、広島城を見学し、宮島
で宿泊、2日目は、厳島神社、広島のお好み村での昼食、その後牡蠣の養殖場を見学し、牡蠣打ち
体験をする等、盛りだくさんの内容でした。その中からのハイライト、「平和記念公園碑めぐり」
をお届けします。
広島平和記念公園碑めぐり
広島は私たちの命につながる場所であり、核兵器の恐ろしさを目の当たりにするところです。沈黙
していた被爆者がようやく語りはじめたことは「被爆体験を通して、二度とこんなことがあっては
ならない、どんな理由があろうと原爆を使ってはならない」ということでした。悲惨さだけを言う
のではなく、投下者への憎しみを主張するのでもなく、そこにあるのはむなしさだけであるという
訴えです。そしてその物証として「碑」があり、見る者が追体験をしながら未来に向かう術を探す
のが「碑めぐり」なのです。
原爆死没者慰霊碑
平和公園の真ん中に犠牲者の霊を雨露から守りたいとの願いを込めて、埴輪形屋根の慰霊碑が造ら
れています。その下の石棺には247,787人(平成18年8月6日現在)の方々の名簿と「氏名不詳者多
数」と記された一冊が納められています。石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返
しませぬから」と刻まれ、埴輪型屋根を通して「平和の灯」、その向こうに「原爆ドーム」が重な
って見え、一体の平和のシンボルとなり、「ノーモア ヒロシマ」を強く世界に訴えています。
原爆ドーム
頑丈で近代的な建物が半壊している姿があまりに象徴的で、被害を受けた人のなす術のない姿と重
なって見えてきます。廃墟となってしまった建物を、市議会が「永久に保存する」と決議し、市長
全国募金を呼びかけ、被爆者ら市民の声の高まりで1996年には、「広島平和記念碑(原爆ドーム)」
として世界遺産に登録されました。アウシュビッツと並ぶ「戦争の負の世界遺産」です。ドームは
戦争の記憶が風化しそうになり、平和への誓いが揺らぐ時は何度でも訪れて再確認する場所なのです。
爆心地(島病院)
原爆は島病院の上空570m(600mとも言われる)で炸裂しました。太陽が落ちたような熱線、秒速440mの爆風、強烈な放射線を放った爆心の光は今まで誰もが見たこともないようなものでした。島
病院から南西の元安橋の辺りは人口密集地であり、現在の平和公園は当時繁華街だったのです。折しも8月2日から1週間、空襲に備えて建物を壊す作業で男女中学生や地方からの義勇隊が動員されていたのです。そのため当時の昼間人口は40万人ほどでした。爆心地から半径2kmでは全壊全焼、半径4kmで半壊という被害の中、死者不明9万人、重軽傷4万人、罹災者17万人、計30万人が被災したのです。
原爆の子の像
サダコは今では世界中の人々に知られています。2歳で被爆し、なんら問題もなく健康に過ごしてい
ましたが10年後に白血病になり入院しました。一人の女学生から送られてきたお見舞いの千羽鶴を見て、
「鶴を千羽折れば病気がよくなる」と生きぬく決意として鶴を折り始めたのです。鶴は長寿のシンボ
ルで、冬に元の土地へ帰ってくることから元の身体にかえるめでたい鳥とされていたのです。ベッド
に横たわり痛みをこらえながら薬の紙等で鶴を折り始めましたが、入院から10ヵ月後に亡くなってし
まいました。サダコの死を無駄にしないために12歳の級友たちは被爆した全ての中学生や子どもたち
のために像を建てる決意をし、行動を起こしたのです。以来日本中の学校の児童や生徒が、ここでサ
ダコや被爆した子どもたちに聞かせるように平和学習で学んだことを発表し、平和への誓いを語り続
けているのです。
被爆アオギリ(青桐)
爆心地から1.5km離れたところで被爆したアオギリの木が公園内に移植されています。爆心地側のア
オギリの幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられました。「広島には75年間草木も生えないだろう」
と言われていたのに、なんと翌年の春には芽吹き、傷跡を包むように成長し続けています。悲劇にも
負けないこの生命力は絶望の淵にいた人々に生きる希望を与えたのです。このアオギリの種から育て
た苗木を日本各地、諸外国に寄贈し平和の尊さと連帯のシンボルとして大切にしています。モニュメ
ントのボタンを押すと、未来を担う子どもが歌う「アオギリのうた」が、聞く者の心と身体に明るく
響いてきます。
平和大橋・西平和大橋
両橋は、平和記念公園の入り口にあります。平和大橋が日の出(未来)を、西平和大橋が日の入り
(過去)を表現したもので、米国の彫刻家ノグチ・イサムによるデザインです。特に欄干の端にその
日の出、日の入りのイメージがよく表れています。
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