今回の研修は、2日間にわたり行われました。1日目は第一線でご活躍の講師の先生2名をお迎えしてお話をお伺いし、
2日目は、講演をお願いした能の味方先生がご出演された能・狂言の舞台を鑑賞しました。
1日目、講演の前半は、狂言の丸石やすし先生のお話でした。丸石先生は大蔵流狂言師で、茂山千之丞氏に入門、
人間国宝である茂山千作氏や千之丞氏のもと数々の舞台をこなし、海外公演、異分野とのジョイント公演など幅広い
活躍をされています。
まず、「狂言」という言葉の意味や能、狂言の違いを説明されました。観阿弥、世阿弥親子が将軍足利氏の庇護を
受けたエピソードから、雅楽、舞楽を持つ公家に対し、武家が自分達の芸能として能、狂言を庇護するようになった
600年余りの歴史を大変ユーモアのあるお話で楽しませていただきました。
せりふは全て口伝えで独特のリズムがあり、一見わかりにくそうだが、会話体のため文字で見ると非常に分かりやすい
とのこと。昔、何もない芝生の上などでお金をかけず、能や狂言が行われたため、舞台には大道具がない。つまり
狂言を鑑賞するには、観客の想像力が大事である。とにかく、勉強として能を鑑賞するのではなく、劇を楽しみに
いくという感覚で、先入観なしでリラックスして狂言を鑑賞してくださいとのことでした。
後半は、能楽・観世流シテ方の味方玄(みかたしずか)先生の講演でした。能楽師・味方健氏のご長男として生まれ、
人間国宝片山九郎右衛門に入門、モダンダンスやシンセサイザーなど異分野との競演に意欲的で、多数の海外公演
など幅広い活躍をされています。
能面をつけて神の言葉を伝えたのが、能役者のはじまりで、そこからストーリーが生まれ、相手役ができたそうです。
もともと神社やお寺の敷地など屋外に簡易の舞台があったが明治以降、能楽堂が出来るようになった。屋外だと光の
陰影、においなどで、時間の経過が舞台に反映されていたが、屋内だと、観客の想像力が必要になり、受身ではなく
能動的に鑑賞することが大事とのこと。当初は、衣装も質素であったが、武家の庇護を受けるようになってから衣装も
豪華になり、能面も緻密な表情のものが作られるようになり、地謡や囃子が現れた。世阿弥が書いた能のテーマは
永遠性のあるもので、600年たった今でも私たちが共感できるものがほとんどだそうです。
講演後半は、メンバーの方からボランティアを募り、先生が自ら能装束の着付けをしてくださいました。先生の慣れた
鮮やかな手つきと高価な美しい能装束に会員の中からもため息がでました。本来なら舞台裏でしか見ることの出来ない
着付けの一部始終を間近で拝見させていただき、実際に着物や能面にも触ることが出来ました。
実際に能面をつけると視界が狭くなり、下が見えないため危険であるなど舞台上での裏話も聞けました。会場は会員
からの活発な質問と熱気であふれ、しばし時間も忘れてしまうほどでした。
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