私が通訳ガイドとして仕事を始めて22年が経つ。子育てが一段落した1987年、2度目の挑戦で英語のガイド試験に合格した。
JFGの10日間の研修を受けた後、すぐ旅行社への売り込みを開始した。
東京都社交ダンス教師の資格を取得していたので、それを武器に「若者に負けない体力があります」と売り込んだおかげで、2つの旅行社と契約ができた。
T社の日光ツアーを月に2度10年以上、JICAの研修員団体の都内観光も週1度約10年間続けた。
そして合格2年後に日光ツアーの経験が買われ、はとバスのガイドになった。
都内観光のほか、“Village Tour”や“Industrial Tour”など種々の分野があり、いろいろ勉強する機会が与えられ良い経験になった。
初めての仕事、日光ツアーでは、ひとりで下見に行き、お客様を案内しているつもりで声を出して東照宮の説明を練習した。
5月の連休中は、いろは坂を上るのに通常30分のところ3時間もかかった。
お客様が退屈しないように用意したカレンダーでお正月から年末までの年中行事について話し、「良くやった!」と肩をたたいてもらった。
この時の経験で「一生懸命頑張れば必ずお客様に通じ、認めてもらえる」と信じてずっと頑張ってきた。
その後フランス語にも挑戦、不合格を繰り返したが2007年に念願の合格を果たした。
英語ガイドとしての経験が認められ、すぐ仕事をするチャンスに恵まれた。
ツアーの前には必ず下見に出かけ、1〜3日位の短いツアーを無我夢中でいくつか経験した。
予定のガイドが変更になり、急に引き受けることもあった。
一例として、しまなみ海道を案内した時は、はとバスの一日ツアーのあと、羽田から最終便で広島に飛び、ホテルに着いたのは23時過ぎだった。
くたくたであったが、翌日は快晴で、瀬戸内海の島々は美しく、前方に石鎚山が見えてきたときは、
38名のお客様と一緒に私も大興奮し疲れも吹き飛んでしまった。
琴平では旅館の女将をしている大学の後輩が名物のお菓子を持って駆けつけてくれて、お客様は大満足だった。
この方面については、10年以上前にJFGの研修に参加していたので資料もあり、うまく準備ができた。
研修に参加する事はとても大切な事だと思い、現在も関東の研修のみならず、中部や関西の研修にも出来るだけ参加するように努めている。
2008年は直島、松本城、天橋立、2009年は松江城と石見銀山の研修に参加した。いつも前泊・後泊し、ついでに自主研修もしている。
私の経験から下見は絶対必要だと思う。2008年に九州一周ツアーが入った時は、全行程をスケジュール通りに4回に分けて下見した。
随分お金がかかったが、本番では自信を持ってガイドが出来た。
鹿児島・指宿の砂風呂では男女26名+私でシャワーキャップをかぶって楽しんだ。
下見をしていなければ、全員髪が砂だらけになって後が大変だったと思う。お客様には「あなたはとても親切だ」と喜ばれた。
最近、お客様11名全員がフランス各地の旅行会社の代表者というツアーを担当した。
責任重大な仕事で大変緊張した。女性リーダーの要求が多く、京都ではスケジュールに入ってない茶道体験をしたいと言われ、
以前ガイド仲間と自主研修で利用したお茶屋さんに電話を入れ、実現することができた。
姫路の料理屋では、隣の部屋から尺八の音が聞こえてきたので、「国際親善のため一曲お願いできますか?」と頼んだところ、
和服姿の中年の男性が無料で快く演奏してくださった。それまで大騒ぎしていたお客様が日本の古典音楽にしんみりと聞き入った。
箱根の旅館では、女性のメンバーから一緒に露天風呂に入ろうと言われた。
心の中では「絶対に嫌だ!」と思ったが、これも国際親善のためと思いご一緒した。
4人で、日本式に頭の上にタオルをのせて温泉を楽しんだ。
「日本では一緒にお風呂に入って、裸の付き合いをして本当の友達になるのです」と話すと「これで私たちも真の友達だ!」と大喜びだった。
努力の甲斐があり、ツアー終了後、お褒めのメールが日本の旅行社に届いた。おかげで2010年の春にもたくさんのツアーの依頼を頂いている。
しかし準備を考え、4月に1本、5月に1本と心にゆとりを持って丁寧なツアーをしたいと思っている。
2年前、フランスの通信社のグループ35名を成田に見送る途中私にささげる歌として “Hommage a Nao, notre guide au Japon”を全員で繰り返し歌ってくれた。
フランスの歌手のジョニー・アルディの“Diego”の替え歌をツアーのメンバーのベルジェさんが作ってくれたもので、ツアー後メールで送られてきた。
時々この曲を聴きながら、楽しかったツアーを思い出し、春のツアーをイメージしているこの頃である。
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