私は栃木に生まれ育ち、就職、結婚も県内というとてもローカルな人間です。
2008年春に仕事を始めるにあたり自分なりの特色を出すために誰よりも栃木に詳しいガイドになろうと思いました。
栃木には日光や鬼怒川、益子などの素晴らしい観光地があります。
まずはこれらの土地を知るために歩き回り、食べ回り、本を読み、様々な研修会に参加し、地元の歴史研究家達を訪ねたりしました。
また益子、鬼怒川、日光の観光協会で働く機会にも恵まれ、それぞれの土地をさらに詳しく知ることができました。
そんな中で疑問を持つと納得がいくまで調べまくるという自分の意外な一面も発見しました。
東照宮ができる前の日光はどんな所だったのだろう、日光連山はどんな山?大名や将軍の日光参詣は地元の人々にどんな影響を与えたのだろう?
江戸時代の栃木県の人口減少が東北以上だったのは何故?明治維新の日光への影響は?などなど、
中には外国人の案内には直接関係無いようなこともありましたが、それでも知っておきたいと思いました。
私ってこんなに勉強好きだったっけ?と、自分でもびっくりするくらい楽しい作業でした。
そうして感じた事は、日光や鬼怒川や益子を守り育ててきた過去と現在の多くの人達の、それぞれの土地や自分の仕事に対する誇りや思い入れでした。
日光の年間降水量は2000ミリ以上。風雨にさらされる堂塔は傷みやすく、絢爛豪華な東照宮や大猷院廟などの美しさを保つためには20年に一度の修理が必要だと言われています。
明治維新で幕府の庇護を失い、荒れるにまかされていた社寺を見かねて基金団体を立ち上げた栃木県民達。
暑さ寒さの中、何十工程も掛けて丁寧に漆塗りや彩色の修復をしてきた歴代の職人さん達。
明治の初め、堂塔の移転で日光の景観がメチャメチャになってしまうことを恐れ、命を賭けて神仏分離反対を明治天皇に直訴した日光の戸長達。
山肌のもろい男体山や女峰山の崖崩れが引き起こす洪水から町や世界遺産を守るため、治山治水に励む日光砂防事務所の職員さん達。
2万体もの小さなフィギュアや細部にこだわった数多くの模型の建物を一つ一つ丁寧に管理する鬼怒川のテーマパークの技師さん達。
今改めて自分にできる仕事は何だろうと考えると、こうした人々の思いと私の栃木に対する愛情を込めて、栃木の魅力をより上手に紹介していくことかなと思っています。
私の仕事は殆どがFITの日帰り旅行なのですが、同じ場所を何回もガイドしていても毎回が特別なご案内です。
そのお客様にとっての最高の一日になるようにできる限りの情報収集と準備をします。
また、その後お客様が旅を続けて行くときに歴史の流れが繋がっていくように、より楽しく便利に過ごせるようにと願いながらご案内をしています。
まだまだ力不足ですが、お客様から「楽しかった。」「友達にあなたを紹介するよ。」「旅行サイトによかったと書き込んであげる。」などというお言葉を頂くと
、しみじみと嬉しく、少し大げさかもしれませんが、「生きていて良かった」という気持ちになります。
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