両岸の架け橋

16世紀中葉、ポルトガル人は太平洋に浮ぶ美しい島を目にして「Ilha Formosa」(イラ・フォルモサ)と声を上げた。 そして「麗しの島」台湾が歴史の表舞台に登場する。
その後、オランダ、清朝、日本の支配を受け、日本敗戦後は蒋介石総統率いる国民党統治の時代を迎える。 しかし、台湾に安寧な日々はなかなか訪れない。
本省人(国民党上陸前に台湾に居住していた人々)と外省人(国民党の軍隊に所属していた人とその子孫)の間に 様々な軋轢が生じ、二二八事件(1947年に台湾全土で発生した国民党の政府軍と台湾市民の衝突)、それに続く政治 的迫害「白色テロ」など、台湾では同胞同士の悲劇が絶えることはなかった。
しかし、時の流れは台湾にも変化をもたらした。戒厳令の解除、中国大陸への親族訪問の解禁、李登輝氏が本省人と して初めて総統に就任、そして民進党から陳水扁氏が総統に選出された。
本当にこの50余年にわたる台湾の変化には目を見張るものがある。

さて、私はこの台湾に1987年〜1998年まで11年間生活した。
高々と聳え立つ大王椰子、ギラギラ照付ける大きな太陽、朝市から夜市まで一日じゅう喧騒の絶えない裏通り。
優しく親切な地元の人々に接すると、台湾が過去50年間も日本に統治されていたことが当初どうしても信じられな かった。
台湾の人々の心は実に暖かい。


悲しいかな、中国大陸と台湾の間には問題が山積している。火薬の臭いが消えず、危うさが付きまとう。
でも、私は両岸関係に楽観的だ。東京ディズニーランドで大陸と台湾の観光客が互いに写真を撮り合っている姿を 目にする時、その笑顔には些かの敵対心も感じられない。都内のデパートで、日本語が少し分かる台湾人観光客が 中国からの観光客に通訳してあげている姿を見ると、思わず笑みがこぼれる。 日本にお嫁に来た中国大陸の女性と台湾人女性がボランティア活動で共に協力している姿を両岸の指導者に見て もらいたいと思う。

複雑な政治的背景を抱える現状では、双方のお客様に対する態度を使い分けなくてはならないのか、 とかつて心配したことが全く杞憂であったと感じる。 分け隔てなく心を尽くし接すること、 そして、折に触れて自分の台湾生活の経験を中国大陸のお客様に伝えることで、 微力ながら両岸の橋渡しができるのではないかと思う。 そして、私に返されるお客様の満面の笑みがその思いをますます強くさせる。

文:相沢久美子    

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