昭和レトロの街「新世界」と再開発が進む「阿倍野・天王寺」

「串かつ屋がひしめく中心街」  大阪の代表的盛り場は「キタ」と「ミナミ」が有名ですが、それと同等にいやそれ以上に有名なのは、通天閣を中心とした「新世界」でしょう。
 現在の通天閣は2代目ですが、昨年、初代から数えて100周年を迎えました。それに先だって、内部展示のリニューアルが行われ、初代のファンタスティックな新世界の情景がジオラマで再現され、有名な福の神「ビリケンさん」も3代目に変わりました。

「往時のルナパークを再現」  一帯は、元々は、明治36年に開催された第5回内国博覧会の跡地でした。パリのように、中央に円形広場が作られ、そこから放射線状に道が延びていました。 通天閣はその開発地のシンボルタワーで、デザインはなんと「パリの凱旋門にエッフェル塔が乗っている」という大阪らしい奇抜なものでした。塔の南には、テーマパーク「ルナパーク」が建設され、そこから通天閣まで、史上初めてのロープウェイがお客さんを乗せて行き来し、連日、東京の浅草のような賑わいを見せていました。残念ながら、この初代の通天閣は、昭和18年に戦争の金属供出のため解体され、新世界一帯はシンボルを失ってしまいました。初代が消えて13年目の昭和30年、新世界を愛する地元の人々の努力によって再建されたのが今の2代目通天閣です。

それ以降、高度成長期、バブル期を経て他の盛り場がどんどん再開発されて姿を変えていったのに、通天閣とその周辺は、昔ながらの「昭和」の雰囲気を持ったまま、残り続けました。日本最大の日雇い労働者街に近く、「コップ酒を片手にしたオジサンの街」という世間のイメージがあり、一時は通天閣の入場者が20万人を切ったこともありました。それが、この10年間に様子が一変し、若い人が串カツや奇抜な看板に惹かれて訪れる人気スポットとなってきました。「串カツのタレ二度漬け禁止」ルールは、今や全国的に有名になっています。昨年は、通天閣入場者が132万人にもなり、今年は昨年を上回るペースで増え続けています。 今は、道頓堀と並ぶ賑やかな看板に彩られた、海外の人がもっともイメージする「アジア」の街なみが広がっています。

「全貌を現したあべのハルカス」 新世界の東南では、大阪最南端のターミナル・天王寺駅周辺の再開発が進み、近く、高さ300mを誇る日本一の高層ビル「あべのハルカス」(ホテル、オフィス、デパートを含む総合施設)がオープンします。
大阪は、関東大震災の直後の何年間か、国内で人口最大の都市でした。今でも古い世代には、「大大阪時代」と呼び懐かしむ人も多いです。再開発された新しい町並みとレトロな雰囲気が残っている地域がまた、大阪の魅力を取り戻してくれることを願っています。


(榊原 慶子)

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