ドイツ人の医者、植物学者、旅行家であるエンゲルベルト ケンプファー(Engelbert Kaempfer 1651-1716
日本ではケンペルとオランダ読みする)が、インドネシアの東インド会社を経由して長崎を訪れ(1690-1692)、
そこで初めてイチョウの木を見ました。彼は、将軍綱吉に会うため2回箱根を越えた際、箱根の自然を本に書いて
世界に紹介した人でもあります。彼の手書きの草稿は、その後、大英博物館が購入し、今はそこに保存されて
います。彼は日本のイチョウの種を持ち帰って、オランダのユトレヒトの植物園に植えました。その木は現在でも
残っているそうですが、ここからヨーロッパじゅうにイチョウの木が広まっていったのです。ヨーロッパにある
イチョウの木が、日本のイチョウの種から生まれたなんて、知らない人も多いのではないでしょうか?
イチョウの木の学名は Ginkgo biloba と呼ばれます。初めの Ginkgo は、ケンプファーが Ginkyo を Ginkgo と
書き間違えたようです。2つ目の biloba は2つに浅く裂けた葉という意味で(bi-は2つ、lobaは葉)イチョウの
葉の形を表しています。
イチョウの木は18世紀の中ごろドイツに移植されました。1815年、ゲーテ66歳の時に書いた有名な詩があります。
これは 東洋からやってきて 私の庭に植えられた木の葉です
(中略)
もともと1枚の葉が裂かれて 2枚になったのでしょうか
それとも 2枚の葉が相手を見つけて 1枚になったのでしょうか
私は1枚の葉であり あなたと結ばれていることを
あなたはお気づきになりませんか
ゲーテは、2枚の葉が割れて1枚につながっているイチョウの葉を男女の愛の象徴とみました。彼は、ハイデル
ベルグの古城の庭にあった1枚のイチョウの葉をつけて、愛する女性に詩を贈ったのです。いいですね、こういう
プレゼント!
当時は珍しいエキゾチックな木だったのでしょう。
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