2012年10月1日に復原されグランドオープンした東京駅丸の内駅舎。今でも、毎日たくさんの人が南と北のドームを見上げている。
駅の正面をバックに記念写真を撮る人が絶えない。新装なった丸の内駅舎が100年前の偉容で再び我々の前に姿を現した。
2003年に丸の内駅舎を復原するためのプロジェクトが立ち上がり、ジェイアール東日本建築設計事務所の田原幸夫氏が中心となって設計に携わった。
田原氏から丸の内駅舎復原に関わる様々な苦労話や新しい駅舎の見所などをお話いただいた。
当初の丸の内駅舎を設計したのは、当時の日本人建築家の第一人者であった辰野金吾で、辰野が英国留学中に当時英国で流行していたレンガ造り建物の影響を受けて、
洋風駅舎として設計した。丸の内駅舎は1914年に完成し、1923年の関東大震災でも大きな被害を免れたが、1945年の米軍機の爆撃では屋根と内装・建具など大きな被害を蒙った。
戦後の復旧工事では、創建当初に復原するという意見もあったが、材料難や資金難、復旧への時間の制約等のため、ドーム部分以外の3階部分は撤去されたまま修復され、
今回の復原工事まで約60年間使用され続けてきた。
丸の内駅舎は2003年に国の重要文化財の指定を受けたが、老朽化のために修復することが決まった。
その際に、基本方針として決められたのは、復元(reconstruction)ではなく、できるだけ創建当初に戻す復原(restoration)を目指すこと、
ただし、後世の補修や変更など、意匠的・技術的に優れたものは保存・活用するという難しい命題を抱えることとなった。
また、重要文化財としての東京駅の価値を残すために、材料はできるだけ創建当時の材料を使うことにした。
それだけではない、東京駅は駅舎として、工事中といえども1日も休むことなく使われ続けなければならなかった。
また、完成した暁には、丸の内駅舎には単なる重要文化財としてではなく、同時に「駅」、「ホテル」、「ギャラリー」として“生きている遺産(Living Heritage)”
として使われ続ける建築としての使命があった。
創建当初の丸の内駅舎は松杭1万本が駅舎の躯体を支え、1923年の関東大震災にも耐えた。
しかしながら、今回の修復では、松杭をすべて取り去り、352台のアイソレーターと158台のオイルダンパーが免震層となって駅舎を守る耐震構造とするため、
それだけで4年もの工事を要することになった。
駅舎の壁・レンガ、南北のドームと装飾、ステーション・ホテルやステーション・ギャラリーに残された古いレンガ、一つ一つをよく見ていくと、
最新の設備とともに、古い部分がいたるところに残されている。
中央部分やドームの屋根のスレート、ドームの古いレリーフ、壁やレンガに使われた覆輪目地、疑石、化粧レンガなど創建当初の優れた建築技法ができるだけ残され再生されている。
ヨーロピアン・クラシックを基調としたステーション・ホテルの客室、中央のゲストラウンジ アトリウムには創建当時の赤レンガの姿があり、
対照的な線路側のガラス張りの天井から自然光が優雅に降り注いでいる。
ステーション・ギャラリーでは戦災を受けた古いレンガ壁が何故か、ギャラリーのアートの空間とうまく調和している。
・丸の内北口ドーム内にはJR Travel Service Centerがあり、外国人旅行者を対象とした旅行カウンター部門と観光案内部門が設けられている
(対象言語:英語・中国語・韓国語・日本語)。
・東京駅丸の内駅舎見学マップ
http://www.jreast.co.jp/tokyostation/pdf/tokyostation_map.pdf
・完全保存版「東京駅」(別冊宝島):復原後の丸の内駅舎だけでなく、東京駅の歴史など多面的に網羅している。
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