通訳ガイドになって
私が通訳ガイドを目指したのは、10年間勤めてきた大使館での仕事を辞めた時でした。それ以前も英語での仕事に携わっていたこと、また人のお世話をすることが大好きであること、旅行が趣味であること、今後生涯現役でできる仕事がしたいなどと考えた時に、通訳ガイドしかない!と思ったからです。1年間専門学校に通い、2007年に通訳案内士の試験に合格しました。しかし、2007年のJFG新合格者研修会には残念ながら参加できませんでした。2008年には関東地区の研修会に参加することができ、先輩ガイドの方々の素晴らしいガイディングや講義に圧倒されました。その時に取ったメモは私のお守り代わりで、今でも大変に役に立っています。
新合格者研修会後、4月にガイドとしてデビューしました。お客様はイスラエルからの50代のご夫婦を中心に、そのご両親と弟さんご家族4人の合計8人です。都内、築地見学と日光、箱根の3日間のツアーです。約2ヶ月間の準備期間がありましたので、新合格者研修会で学んだことを念頭に、イスラエルの情報、家族構成、食事の件など時間をかけて下準備を行いました。また日光、築地、箱根の下見も行きましたが、結局日光と築地のツアーはキャンセルと言われました。食事はイスラエルの方と聞いて、大変心配しておりましたが、お会いすると、何でもOKとのことで力が抜ける思いでした。
ツアー前日、お客様の到着する時間を見計らってホテルに何度か電話をしましたが、午後11時を過ぎても到着されていないとのこと。メッセージを残し、当日不安に思いながら待ち合わせ場所のロビーに行きました。まずは、都庁展望台へ。その後新宿から明治神宮、浅草へと向かいました。浅草では昼食時に、お鮨が大好物のご夫妻とマクドナルドの好きな中学生のお子さんとの間で意見が分かれ、結局お子さんの意見を尊重し、マクドナルドで昼食となりました。
午後は電気製品に興味があるとのことで、急遽予定外の秋葉原へ行くことに。銀座のソニービルにも行きたいとのご希望で行きました。さすがご両親はお疲れの様子で、車の中で待っていらっしゃいましたが…。1日目の予定を終えほっとしてホテルに戻る車中で、その後の予定を確認していると、お客様は翌日に築地と日光のツアーに行く予定だと話されるのです。それはキャンセルされていると説明しますと、キャンセルしていないといいます。旅行会社に連絡して急遽日帰りのバスツアーに入れてもらいました。築地は日曜日だったので見学はできませんでした。
翌々日箱根へ向かう朝、東京のホテルを出発した時、お天気は生憎の大雨でした。しかし、前の晩にてるてる坊主を作ってお願いしていたお陰でしょうか、箱根に到着すると雨も上がっていました。大涌谷、駒ケ岳ロープウェイ、芦ノ湖遊覧船と順調に予定をこなし、昼食もバイキングで問題なく終わりました。最後の彫刻の森では雨上がりの中、のんびりと散策をし、皆さんで足湯を楽しんだり、お茶を飲んだりと楽しんでいましたが、1つだけ“ヒヤッ”とする瞬間がありました。私とご両親が坂を下りてくる背後で小さなお子さんが自分の乗るベビーカーを押していて、その手を離したのです。ベビーカーがお客様の足首に当たったのですが、お子さんの母親は謝らなかったため、お客様が気分を害してしまいました。その時は私がとりなして何とか治まりましたが、日本人のモラルが問われることになりかねないと心配になりました。無事にお客様をホテルにお届けして、私のデビューのツアーが終了となりました。
初めてのツアーを振り返ってみると予定の変更や食事場所、天候など様々なことに素早く対処しなければなりませんでしたが、最後にお客様が喜んで下さり、「ありがとう、楽しかった。」の一言で苦労もすべて忘れることができました。特にご両親がご高齢とあって、階段や車の乗り降りに大変気を使いましたが、ご当人たちは旅慣れており、私が手を差し出すとニコニコとその度にお礼を言われて、私も大変嬉しく思いました。通訳ガイドの仕事は奥が深く、また体力的にも精神的にも大変な仕事だと思います。しかし、私はこの仕事が大好きです。お客様にツアーを楽しんでいただき、感謝の言葉をいただいた時の喜びは格別で、今までのどんな仕事とも比較できないほど充足感や満足感を得ることができます。通訳ガイドという職業に出会えたことに感謝するとともに、より一層お客様に楽しんでもらえるように、さらに精進していきたいと思います。
(尚 説子)