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通訳ガイドとは

通訳ガイドの仕事

「民間外交官」とも呼ばれる通訳ガイドの仕事を端的に言えば、「外国語を使って外国人に付き添い、日本についての案内をする」ことですが、具体的な仕事としては、次の3つがあげられます。

1.ガイディング

通訳ガイドは、観光地でよく見かけられるような、制服に身を包んだガイドさんの説明を通訳するわけではありません。来日される外国人が興味を持つ事柄は多岐にわたり、日本人にとっては当然すぎて不思議に思わないことやガイドブックには決して載っていないことばかりです。つまり、通訳ガイドは外国人の視点に立って日本の説明が出来なければなりません。

2.添乗業務

通訳ガイドはふつう、お客様の旅程に従い日本各地をご案内しますが、そのための添乗員が別につくことはありません。行く先々を説明すると同時に、バスや食事場所などの予約の確認や変更等の添乗業務をこなさなくてはなりません。また、お客様の病気やケガなど、不可抗力によるトラブルを迅速に解決する判断力が求められます。

3.旅の演出家

外国人のお客様は、その人数、国籍、性別、年齢層、文化水準によってさまざまです。したがって、通訳ガイドはその時々のお客様に合わせ、説明や対応を臨機応変に変えなくてはなりません。また、時には「頼りになる旅の道連れ」として、また時にはお客様が充分にご旅行を楽しんでいただけるよう、話題や話術を工夫する「旅の演出家」でなくてはなりません。

現地ガイドの様子

近年、日本を訪れるお客様の数が増えると共に、その訪日の目的も多様化してきています。観光目的のお客様も以前は団体ツアーが主流でしたが、最近では家族連れなどの個人のお客様の数が急増しています。その関心も単に観光地の歴史や建造物に関するものだけでなく、茶道、日本料理などの伝統的日本文化、それにアニメなどのポップカルチャーを含むより広い範囲の日本文化にまで広がってきています。またそれらを単に見学するだけでなく実際に体験するプログラムも人気を集めており、通訳ガイドの知識もより深いものが求められるようになっています。また観光以外でもビジネス、研修、視察、国際会議、各種イベントなどへの参加を目的とする旅行に同行することもあり、ときには工場見学や表敬訪問などで、簡単な通訳技術を要求されることもあります。

このように、通訳ガイドには、幅広い知識と語学力はもとより、素早い判断力や臨機応変さが求められます。また、外国人のお客様は、通訳ガイドを通して日本を知り、その理解を深めるのですから、その意味でも責任の大きい仕事です。

しかしその一方、これほど充実感が大きく、また楽しい仕事もありません。勉強したことがすぐに生かせる仕事、学歴も年齢も関係のない実力本位の仕事、そして、何よりお客様に喜んでいただける仕事です。

通訳ガイドの働きによっては、日本についての理解を深めてくれる外国人が増えるかもしれません。そして、ひいてはそれが国際貢献と世界平和に繋がるかもしれません。

通訳ガイドは、そんな素敵な可能性を秘めた仕事なのです。

通訳ガイドの魅力

サラリーマンガイドとJFG(長谷川洋)

サラリーマンとガイド稼業は両立するのか?そんな不安を抱きつつ始めた通訳案内士だが、初年度(4~12月)の稼働は幸運にも恵まれ25日となった。そんな新人ガイドの1年をJFGでの活動とともに振り返りたい。

2015年に合格したものの、登録を行なったのは2017年末で、そこから私の活動が始まった。私にとってJFGは専業ガイドのための団体であり、魅力的ではあるが兼業の私には敷居の高さを感じていた。ただ、松本理事長の著書の読者であったため、軽い気持ちで説明会に参加したところ、高い熱量に触発されすぐに入会届を提出した。

最繁忙期である春のデビューを目標にし「出来ることは全部する」と決め、年明け以降、全ての週末をデビューに向けた準備に費やした。まず、バス添乗のため国内旅程管理主任者資格を取得し、その後、JFGの新人研修に参加した。新人研修では、講師陣の「知識、話術」に圧倒されたが、必死でメモを取り、研修後は判別できない文字に悪戦苦闘しつつWordに書き起こした。この時のメモは後々のガイディングに非常に役立っており、以降の研修でも、記憶が新しい数日以内にレポートにまとめるようにしている。自分の記憶力と能力に自信がないからであるが、研修は終了後の行動が重要と散々サラリーマン稼業で言われてきたことが、今になって活きている。

また、ガイドとして一般的な知識が不十分であることを認識したため、新人研修で知り合った数名で、研修資料に記載されたゼネラルトピックについて分担して調べ、一つの資料にまとめた。その後も、その時の仲間には、自主研修の実施や情報交換を通して大いに助けられている。また、それぞれの強みや興味が異なるため、自分の視野を拡げてくれる有難い存在である。

新人研修終了後は、その翌週に実施されたJFGプレゼン面談会に参加し、望外の評価を得て、JFG経由でのインセンティブツアーのアサインに繋がった。ツアーはバス2台口の1台で、業務打診の際には一瞬躊躇したが、チャンスは2度とないかもと思い、業務を受諾した。不測続きで大変なツアーであったが、JFG先輩ガイドの心強いリードと新人研修で学んだバス内でのipad活用術で何とかデビュー戦を乗り切ることが出来た。

ただ上手くいったことばかりかというとそうではない。2月には複数の旅行会社に履歴書を送付するも、殆ど返事は無く、たまに頂いた返事はいわゆる「お祈りメール」であった。また複数のガイド向けマッチングサイトにも登録したがこれも反応が全くなかった。

それでも5月には2度の就業機会を得たが、6~8月の間は半日業務が1回のみであった。ただ、新人の私にとっては、この間は未知の分野の学習や街歩きを行う絶好の機会となった。特に芸術関係に縁がないまま半生を過ごした私は、「トウハク」と聞いても「それっておいしいの?」というレベルであったため、夏のJFG研修は大変有意義であった。夏休みを使い、座学研修は3回(日本歴史、江戸博、東博)、ウォーキング研修は2回(東博、谷中)参加した。10月には、これらの研修のお蔭でゲストを谷中・上野にご案内する機会を得て、大変喜んで頂けたことは自分にとっても良い思い出となった。この場をお借りし、講師の方々に感謝申し上げたい。

この1年はあっという間に駆け抜けた忘れられない1年となった。まだまだ足りないことばかりであるが、足りないピースを一つずつ埋めながら、当面の間は2足の草鞋を楽しんでいきたい。

Long way to go - 2年生通訳案内士からのメッセージ(Kazu)

広島平和公園にて

もう何十年も前の昔々、私がまだ高校生だった時のことです。京都御所近くで道に迷っていた外国人に”May I help you?”と声を掛け、それから丸半日、暗くなるまで一緒に京都の街を歩きました。ちょうど桜が満開の時期でした。これが私とその英国人老夫婦が亡くなるまで続いた長い友情の始まりであり、今思うと私が通訳案内士を生業とするようになったきっかけでした。
通訳案内士としてあっという間に2年が過ぎました。私の拙い経験が新しくこの道を歩もうとしている方々の一助となれば嬉しく思います。加えて、一般の方々にも「通訳案内士」という国家資格を広く知っていただくことに繋がればと思います。

試験合格後、先ずはJFGからいただいたインバウンド取扱会社一覧に履歴書を送りました。予想はしていたもののまさに「なしのつぶて」状態でした。そこで、自らインターネットで探したエージェントに連絡を取り、研修を経るなどして夏頃から牛歩のごとくですが、プロとしての仕事をスタートすることが出来ました。「なしのつぶて」だった会社の数社から秋頃に突然連絡をいただいたこともありました。

築地交差点にて

最初に仕事の声をかけていただくまで様々な意味で「果たして専業でやってゆけるのか?」迷い悩み、毎日が日曜日状態でした。築地や浅草でキョロキョロしている訪日旅行者に事情を説明してボランティアで案内させていただいたりもしました。自分の出来に満足するどころか落ち込むことばかりでしたが、それでもゲストの笑顔や感動に出会えたことが何よりの励みであり喜びでした。
フリーランサーとして仕事を得て行くための王道はどこにあるのでしょうか?自分自身のこれまでを振り返って言えるのは、事前準備を十二分に行うこと、限られた一つ一つのツアー、一人一人のゲストに一期一会の想いで接すること、この二つに尽きると思います。

ツアー終了後の疲労感はゲストの笑顔を思い出すと解消されます。反省材料は次回に繋げる課題です。自分にとっては何十回と訪れている場所であっても、おおかたのゲストにとっては最初で最後のチャンス。まずは自分自身が楽しみ、感動しなくては何も伝えられないでしょう。そのために何か一つでも新しいものを見つけようと心掛けています。

富士山バックのお客様

JFGの研修や現場で先輩方のガイディングを垣間見ることがあります。話だけでなく身のこなしを含むその全てが美しく流れているのを拝見すると、この先の長い道のりを思います。しかし、今の自分ができる最高のサービスを「自分らしい」やり方で提供することが全てです。特別の「自分らしさ」とまでは言えないかもしれませんが、敢えて紹介させていただければ、

<スマイル ¥ゼロ>
心の中では焦りながらも精一杯の笑顔を常に心掛けること。

<無料のプレゼント>
ゲストのカメラで沢山の写真をお撮りすること。了解を得た上で自分のカメラでも撮って差し上げています。費用もかかりませんし、Thank youメールを送るきっかけにもなります。ゲストのカメラでは撮れないアングルが狙いです。

<季節に関連した小物をさり気なく>
100円ショップで見つけたものを鞄などにつけて話のきっかけに。ゲストから「それ何?」って聞いていただけたら、めっけもの。

先日お寿司屋さんのカウンターで板さんからお聞きした話です。「寿司を握るだけなら数か月でそれなりに出来るよね。だけど魚を見てお客さんを見て、満足してもらえる寿司を出すには10年20年はかかるね。もう20年以上こうやって握ってるけど、それでも毎日が修行だよ。」

東北でオジさんガイド奮闘中(佐藤 道夫)

中尊寺旧覆堂にて

幸運な出だし
2013年に通訳案内士試験(英語)に合格し、2014年から2015年前半までは情報収集、各種研修会参加や先輩ガイドについての見習いに専念。定年を機に2015年4月ガイドデビュー。

周囲の先輩ガイドやエージェントのご厚意、ご配慮により初年度から早速仕事をさせて頂いている。京都を含む関西地方や首都圏は、春や秋の繁忙期にはガイドが不足するという現実がある一方で、地方在住者、特に新人には就業の機会は少ないと言われていたので、じっくり構えて行こうと考えていた。ところが、予想に反して4月から就業機会に恵まれた。

毛越寺経楼跡にて

2011年に登録された世界遺産の平泉が自宅近くにあり、中尊寺、毛越寺など年間を通して様々な団体、個人旅行客が訪れる。東北大学のある仙台市や盛岡市での学術会議や業界団体の研修会のいわば息抜きのエクスカーションの対象として平泉が選定される事例、また、企業の海外販売代理店の営業会議・工場見学のあとのインセンティブとしての訪問先になる事例、東南アジアの中・高生の修学旅行、個人旅行(FIT, Free Independent Tour)の北海道~東北地方への連続旅行の一こまとして平泉が選ばれるケース等である。この平泉をガイド実践のベースとしている。

業務内容の広がり
平泉ガイドを実践の基本としつつ、ガイドの対象・業務内容が拡がっている。
大型旅客船のオプショナルツアーのガイドで40人~45人のお客様をバスでご案内する機会もある。

以前は、関東以西への寄港が圧倒的だったが、ここ1~2年はこれに函館、小樽、苫小牧、網走等の北海道各地と青森、秋田への寄港が増えている。時々、船のクルーがバスに同乗することがあるが、その時はビデオ撮影担当のクルーで、ツアーの様子をビデオ撮りしていた。催行日前日のエージェントとの打合せでは、あまりガイディングがつたないと、旅客船からエージェントへクレームが入ることがあるとの話を聞いた後だったので、お客様の反応・評価とは別にそのクルーの見る目に緊張した。幸い、気に入られたようで、ツアー後半のトイレ休憩時間に突然インタビューしたいとカメラを回される一幕があり、更に緊張した。

またあるときは、5~7日間、2~3人の個人小グループで東北各県をまたぐ旅行への随行・案内をすることもある。これらのお客様は、「日本通」で何度も日本に来ており、首都圏、関西等の定番ルート、いわゆる「ゴールデンルート」とは別な日本を観たいということで、東北各地を訪問したいというもの。また、日本人は毎日てんぷらや寿司を食べているわけではなく、庶民の日常食がある筈で、それはどんなものがあるか、その土地、その土地の習慣、風俗、そのいわれに関心を持っている。直近では、東日本大震災の被災地を訪問するツアーがあった。町で出会った人に被災経験をさりげなく尋ねたり、昔話を聞くことがあるが、お年寄り(自分ももうお年寄りの領域(笑))の言葉はだいたいがなまっている。自分が地元の人間でよかったと思う瞬間である。数日同行するので、観光案内以外の話題が多くなる。話題の間口の広さや、お客様の国との比較、個々の事象に対する個人の見解を求められる等、要求されることも多い。サラリーマン時代に世界を飛び回っていた経験が活きる場面がある反面、訪問予定地の下見や、データ・文献による情報収集等一層努力が必要との感慨を抱いている。

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