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日本庭園

研修風景
6月12日、京都キャンパスプラザにて作庭家、庭園史研究家の重森千青氏を講師とする日本庭園の講演会が開催されました。

日本庭園の成立
「自然の美しい風景に思いを馳せて庭園を造る。」それが日本庭園の根幹です。

枯山水の庭
日本最古の岩組みは奈良時代に作られていますが、水を使わずに石を用いて山水風景を表す「枯山水」と言う概念が確立したのは平安時代です。例えば、毛越寺池庭の護岸の一部にも枯滝構成の岩組みがあります。広大な池庭で海洋風景がつくりあげられていたわけですが、その傍らに枯滝構成の岩組みも作られていたのです。それが発展し、やがて池庭より少々、離れたところに岩組みがつくられるようになります。(例:西芳寺庭園中の岩組)更に応仁の乱以後、経済的に疲弊した状況下で「独立した枯山水庭園」が確立されていきます。財力が無くとも僧が一番手軽に作ることが可能な修業空間が石庭であったのではないかと考えます。また、池泉庭には蓬莱神仙思想や仏教の世界感が盛り込まれていますが、枯山水の庭にもそれらが導入されていきます。

竜安寺庭園
竜安寺庭園は苦しい経済状況と、「一切の無駄を省こう」という禅の精神を追求する中で生まれてきた庭園という気がします。かませ石を使い小さい石も大きく見せています。施工自体は意外と簡単です。殆ど京都や周辺の石を使っています。費用だけの観点から見ると安価にできる庭園の代表例です。ただし、設計、構成力は抜きん出ています。

小堀遠州と二の丸御殿
小堀遠州作庭と伝えられている庭は数多くありますが、その殆どは偽物です。しかし、二の丸御殿と金地院の庭園は紛れもない本物です。二の丸庭園は後水尾天皇の行幸の折、遠州が改修しました。実はこの庭園は天皇の行幸御殿から最も美しく見えるように作庭されています。石の組み方、構成力が素晴らしく、奥に向かって風景が開けていく水墨画遠山風景の雰囲気があります。又、見る角度によって異なる姿が見えてきて、しかも、其々意味があるのです。彼は又、直線構成を大胆に持ち込んだことでも知られています。作庭家としても建築家としても、茶人としても遠州は秀でた人であり、緻密な仕事人でもあったのです。

(北澤 明美)

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