金刀比羅宮
「一生に一度はこんぴら参り」と庶民信仰のメッカとして親しまれてきた金刀比羅宮は香川県の琴平町にあります。自動車も瀬戸大橋もない江戸時代、人々は歩いて、船に乗って、全国津々浦々からはるばる四国まで参拝に来たのです。
こんぴら参りは表参道の長い石段を登るところから始まります。総門である大門までずっと石段が続き、道の両側にはお土産物屋やお食事処が軒を連ねています。この石段は信者からの奉納によるもので、おかげで雨の日にもぬかるむことなく安心して参拝できます。
「こんぴらさん」は時代によって大きく変ってきました。古代には大物主神を祭る琴平宮、中古から江戸時代までは神仏習合の影響から金毘羅大権現という仏教寺院、明治からは神仏分離令により、金刀比羅宮と再び神社になりました。御祭神は大物主神と崇徳天皇で、農業・殖産・医薬・海上守護の神様です。
365段登って大門に着きます。ここまでは時代劇のように石段駕籠に乗ってくることもできます。大門は1649年に高松藩初代藩主松平頼重が寄進したもので、寺院時代には仁王門として使われていました。現在は仁王像の代わりに左大臣・右大臣の像が置かれています。大門をくぐったところに五人百姓という五軒のべっこう飴を売っているお店があります。先祖の功労によって唯一境内で商売を許されているのです。
石段をさらに登るとようやく旭社に着きます。寺院時代には金堂として使われ、仏像が安置されていたとの事。上層の屋根裏には巻雲が、柱間と扉には人物・鳥獣・草花がそれぞれ精緻に彫刻されていて、荘厳な雰囲気をかもし出しています。森の石松が清水次郎長親分の使いで刀を奉納しに来たとき、あまりにも建物が立派だったために御本宮ではなく、ここ(当時は金堂)に奉納してしまっ たという逸話もあります。
大門から421段登ってやっと御本宮に着きます。(ここまでで合計786段上ったことになりますが、実は途中で一段下がっているところがあり、金刀比羅宮では785段としています。786段では[ナヤム]につながるからです。) 2004年の遷座祭の折に屋根を葺き替え、天井の桜の蒔絵を新しくしたそうです。御本宮前の高台からは讃岐平野のかなたに讃岐富士や瀬戸大橋を望むことができます。ここから更に582段登ると厳魂神社(奥社)に約30分で着きます。
「こんぴらさん」には、面白い「代参」の風習があったそうです。江戸を中心とした関東地方で、「こんぴらさん」に参拝を望みながらも叶わない人々が飼い犬を代わりに参拝させ「こんぴら狗」、瀬戸内海を航行する船の海上安全を祈って船員たちが初穂を酒樽に入れ、「金毘羅大権現」の幟(のぼり)を立てて海に流し、それを見つけた沿岸の人たちがその樽を持ってこんぴらさんへ代参するという「こんぴら流し樽」です。絵馬堂にはたくさんの絵馬と共に、この樽が入りきらないほど奉納されています。
無事に参拝を終えた人々は、帰り道には名物のべっこう飴を買ったり、こんぴらうどんを食べたり、故郷で待つ家族や知人のためにおみやげを探したりしたのでしょうし、金毘羅大芝居で歌舞伎を楽しんだり、「金毘羅船船~♪」とお座敷で唄ったりした人もいたでしょう。そして「こんぴらさん」のご利益を感じながら、再び船に乗って、歩いて帰って行ったのです。
(石井 知恵子)