インド人と広島
毎年、何組かのインド人のグループを案内する。これまでのインド人に対する私の印象は「頑固そして誇り高い」というものだった。インド人は自国が世界一の民主主義国だと自負している。最近また11名のインド人を案内した。政治論争がお好きで、立派な政治コメンテイターぞろいのバスの中は常に喧々諤々の論争。ここまでは目新しいことはなかった。しかし今回のグループは私にとんでもない要求をし、そして感動を与え、日本を去った。
その日の日程は京都観光であった。ところがホテル出発直前にグループリーダーが日程の変更を申し出た。「京都観光1日分をどこも省略することなく、しかし午前中で終わらせ、午後は広島へ行く」と言うのだ。私は思わず、時間のこともさることながら京都・広島間の新幹線代のことを心配した。これまで何組ものインド人を案内させてもらったが、来日の記念やご家族、友人へのお土産に何か買いたくても、物価高の日本で手が出ないのを何度も目にしてきた。ある時など、自動販売機の水を買わずに我慢しておられたこともあった。それなのに11名中9名がチャーターしているバスとガイドを乗り捨て、予約済みのディナーをテイクアウトに変更し、各自インドでは1ヶ月分のサラリーとも思われる2万4千円もの追加料金を支払い、広島へ向かうことになった。
原爆が投下されて60年、日本人でさえ今や忘れがちの8月6日、平和公園での式典をニュースで見て、ああそうだったと思い出す始末。それなのにこのインド人たちの広島への思いは何と表現すればいいのだろうか?東条英機元首相以下の戦犯裁判で、最後まで日本の無罪を主張したR. B. パール博士はインド人だった。戦争の原因は、西洋諸国が東洋侵略のために起こしたことが明白と言った。300年にも及ぶ英国による支配を受けたインド人の言葉に重みを感じさせられる。
平和公園内の数ある慰霊碑のなかで常に人だかりがあるのが原爆の子供の像と丹下健三氏設計による原爆死没者慰霊碑。パール博士は後者の碑文にも異議を唱えた。碑文の英訳は “Let all the souls here rest in peace , For we shall not repeat the evil”。 (和文:安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから)博士は碑文の主語にこだわったのだ。”碑の前にぬかずき過ちを繰り返さないと誓うのは日本人ではないはず、原爆を落とした者の手は、まだ清められていない”と。
今回の9名のインド人とパール博士のことがダブってみえた。ガイドの仕事に従事していることに幸せを感じ、感謝した。これからも慰霊碑前で説明する機会はあると思うが、バール博士に加え9名のインド人のことを思い出し、感動が蘇ってくるに違いない。
(中村 和子)