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研修会レポート < 現代アート あなたならどうガイドする? >

2022.4.15

「現代アート」は、来日する外国人観光客の間で近年、とみに人気を集めている。金沢や瀬戸内海・直島などの美術館をはじめ、街中のパブリックアートにもよく見かけるようになった。通訳ガイドとして備えは必須と考え、9月23日午後、東京・六本木の「森美術館」初代館長で国際的キュレーターである南條史生さんに、講義をお願いした。

 

そもそも現代アートとは、いつから、なぜ、何を指すのだろう。

南條 史生 講師

 

1)「現代アート」はデユシャン以降
現代アートについて語るとき、忘れてはならないのは1917年、男性用小便器にサインをして「泉」と題し展覧会に出品したフランスのマルセル・デユシャンの存在だ。出品は拒否されたが、「モノの見方を変えれば既成の便器だって芸術だ」という新しい発想は、アートの既成概念を覆した。

 

現代アートは、また、現実の社会と緊密につながっている。たとえ今生きている現代人の作品でも、常に新しい試みを模索し、社会に「メッセージ」を発信している作品でなければ、「現代アート」とは言い難い。

 

ただ、そうしたメッセージは、一見しただけでは分かりにくいものが多い。例えば直島の「ベネッセハウス」にあるリチャード・ロングの作品は、木片を丸く並べた形をしており、子どもでもできそうな作品に見える。だが、ロングは制作にあたり、この地域一帯の海辺や自然の中を何日もかけて歩き回り、自然を傷つけることなく、素材となる木片を集めている。1960年代からロングは、こうした活動を経て作品を発表し続けており、作品には、ロングの自然環境への敬意や生きざまといったメッセージが込められている。

 

2)通訳ガイドが説明すべき時代背景
通訳ガイドは、作品の持っているこうした視点やメッセージ性を、みる人に伝えなくてはならない。作品が作られた時のエピソード、素材や技法、そして、作家や作品についてあまり知識がない場合でも、制作された当時の社会の「時代背景」を語ると、なぜその作品が作られたのか、わかってもらえやすい。時代背景は、作品に込められた作家のメッセージを理解する手がかりとなるからだ。
中には作品をすぐに購入したいお客さんもいるだろう。ガイドとしては金額の交渉から支払い方法、輸送や梱包、税金などについてきちんと通訳し、説明できなければならない。

 

「展示会」と「展覧会」、「ギャラリー」と「美術館」、そして作品の「価値」と「価格」は意味が異なることには常に注意が必要だ

 

3)共通の基盤を持つ世界の「コレクター」
コレクターとなる富裕層の人たちは、世界中にいる。アメリカには確かに多いが、経済成長に伴い、中国やインドネシアにも続々と増えている。平均年齢は30代。コロナ以前は自由に世界中を旅してまわり、世界の富裕層同士、現代アートについて最新の情報を交換しあっていた。今も、どこの国の、なんというアーテイストが面白いのか、常に情報交換している。そういう人たちが東京にきて、ギャラリーを巡り、作品を買っていく。

 

彼らが一般の人と最も異なる点は、一般よりはるかにたくさんの作品を見ている点だ。時間とお金のゆとりがあるため、手軽に世界中を旅し、その結果、知識の幅が広がり、自ずと判断力が身につく。購入した作品を十分に楽しんだと思えばオークションにかけて売却し、その利益で新しい作家の作品を購入する、といった行為を繰り返しており、そういう面ではアメリカ人も中国人も大きな違いはない。

 

富裕層は、一般の人が行けない特別な場所に行きたがる。だから、同じ富裕層で現代アートのコレクター宅に連れていくと、大いに喜ばれる。ただ、コレクターとは、自分のコレクションを「見せて自慢したい」という感情と、「誰にも見せたくない」という相反する感情を合わせ持っている。だから、大人数では行かず、言葉遣いに気をつけ、長居は禁物だ。きちんとお互いを紹介し合い、対等な関係で交流できるような配慮も欠かせない。

 

4)最後に
事前質問の中に、「南條さんが『これは現代アートだ』といえばアートなのか」という問いがあった。それに対し南條さんは、「マルセル・デユシャンの例でもわかるように、見る人がアートかどうかを決めるのが現代アート。だから、半分はイエスだ」と答えている。見ている私たちも関与できるとは、なんて面白い時代に生きているのだろう。作家のメッセージ性や時代背景についても、同時代を生きているだけに、わかってしまえば共感しやすい。「現代アート」がグッと身近に感じられるようになった2時間だった。

(久保谷 智子 フランス語 東京都在住)

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