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研修会レポート < 関ケ原研修 >

2022.5.15

先ず関ケ原古戦場記念館で合戦の全容を学んだ後、小グループに分かれて、せきがはら史跡ガイドさんのご案内で戦場跡巡りのウォーキングツアーをした。

 

岐阜関ケ原古戦場記念館

開館:合戦から420年という節目の2020年10月21日。高さは28mで関ケ原町で一番高い建物。
1Fのエントランスホールには、左官・挾土秀平氏制作のダイナミックな壁画「関ケ原の合戦」が掛かる。
同じく1Fのグラウンド・ビジョンでは、床面の大きなスクリーンにモーショングラフィックスで、関ヶ原合戦前から勝敗が決するまでの各武将の動きが時系列で描かれる。講談師・神田伯山さんの軽快な語りが分かりやすい。
続きのシアターのスクリーンは、オーバル(楕円)型で客席横まで映像が映る。
座席が映像・音響と共に振動し、風も吹く迫力たっぷりの演出で、戦の恐ろしさを体感できる。
2Fの常設展示では、武器・武具・古文書・地図が展示されている。
戦国体験コーナーでは、火縄銃や刀を実際に持ち上げたり、陣太鼓を叩いたりできる。
5Fの展望室は、360度ガラス張りになっており、素晴らしい展望が眼前に広がる。各武将の陣がどこにあったのか、分かりやすく表示されている。

岐阜古戦場記念館

 

せきがはら史跡ガイドさんのご案内で古戦場巡り
「関ケ原」や家康が最初に陣を置いた「桃配(ももくばり)山」の名前の由来を教えていただいたり、途中の電柱に貼ってある説明など見つつ、「徳川家康最後陣地」→「決戦地」→「石田三成陣跡」(笹尾山)→「島津義弘陣跡」の順に歩いた。

電柱に貼ってある説明

 

三成本陣の笹尾山(標高198m)に登ると、関ケ原全体が見渡せ、西軍の「鶴翼の陣」と、東軍が低地に構えた「魚鱗の陣」の位置関係がよく分かる。
明治時代にこれを見たドイツ軍人メッケルは即、「当然、西軍が勝ったでしょう」と言ったが、そうではなかったと聞いて大変驚いたとか。それほど見事な陣形だったにも関わらず、三成が敗れたのは、味方であるはずの武将を自分の思惑通りに動かせなかったため。その理由は、なんといっても家康と三成の圧倒的な実戦経験の差からきているように思われる。
なお、関ケ原古戦場はベルギーのワーテルローとアメリカのゲティスバーグ古戦場に並ぶ世界三大古戦場である。

決戦地

                             (服部めぐみ ドイツ語 京都府在住)

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