JFG地方便り < トウモロコシと観音町 (金沢から) >
2023.9.15
2015年3月北陸新幹線が開通した前後から、変貌した金沢。鼓門が金沢を象徴する玄関口となり、街の中心部に広い道路ができ、金沢港クルーズターミナルが完成、新しいホテルが次々と完成しました。そういった場所のすぐ近くに、昔からの良さを保っている地域が存在しています。
東茶屋街は特に変化しました。かつて昼間静まり返っていた所に、朝から晩まで多くの観光客が国内外から訪れるようになり、この地域に生まれ育った私は、嬉しいと同時に時々複雑な気持ちになります。東茶屋街は国内外から多くの観光客が訪れる場所なので、多くの方々がお店の軒先にあるトウモロコシに気づいていると思います。これは問守(かどもり)と呼ばれる風習で、魔除けの効果がある物を軒先に飾り、家内安全を祈念します。トウモロコシは豆が多い事から「まめまめしく健康に働ける」や「子孫繁栄」を意味し、又ふさふさとしたトウモロコシの毛は「儲け」「厄除け」に繋がります。お守りとしてトウモロコシを飾る風習が現在も残っているのは、全国的に稀だそうです。
金沢では年に1回旧暦の7月9日(今年2023年は8月24日)が、観音様の功徳日である「四万六千日」です。この日は、御詠歌の流れる中、東茶屋街から徒歩10分、観音坂を上がった所の高野山「長谷山観音院」に参拝し、祈祷されたトウモロコシを縁日で購入します。江戸時代から、この日に観音様に参拝すると、1回で4万6千回お参りしたのと同じご利益があると言われます。又、白米1升で米粒が4万6千粒あることから、一升と一生をかけてこの日の参拝で「一生息災」という点からも、「四万六千日」が年に1度の最強のご利益のある日とされています。さらに46000日が126年で、それが人の寿命の最大値という説もあります。住職さんによると、北陸新幹線の開通後、この日に長谷山観音院を訪れる人が増え続け、今年はトウモロコシを4千本用意したそうです。毎年8月に入ると、住職自らが版木を刷り上げた「四万六千日」の張り紙が、住民の協力によって近くの民家や商店に貼られている様子が、東茶屋街と観音町近辺の夏の風物詩となっています。
長谷山観音を祀るお寺は、紫陽花で有名な鎌倉の長谷寺、奈良大和の長谷寺等、全国に260以上あります。このお寺のご本尊の十一面観音菩薩は1200年前に制作され、「四万六千日」の日だけ御開帳が行われます。又、金沢の地名の由来になった「芋ほり藤五郎」(藤五郎が山で芋を掘っていると、芋のひげに砂金がついていて、その砂金を洗った泉が「金洗沢〈かなあらいざわ〉」と呼ばれ、金沢の地名になりました)にゆかりがあり、ご本尊は藤五郎が寄進したと伝えられています。さらに、加賀三代藩主前田利常公の正室珠姫様が観音様を篤く信仰され、社殿を寄進したとされています。ご本尊の祀られている厨子には、珠姫様が徳川家から輿入れされた証の葵の紋と前田家の梅鉢の二つの紋を残されています。その後、利常公が境内伽藍を整備して、観音院は前田家の安産祈願・お宮参り等の祈祷所になりました。
観音町の歴史との関わりでは、長谷山観音院から観音坂を下って、観音通り右手の浄土宗寿経寺隣のお堂の中にいる七稲地蔵も重要です。ここでは安政五 (1858) 年米価高騰に苦しむ民衆が観音院上方の卯辰山頂より金沢城に向かって大声で直訴した「安政の泣き一揆」で処罰された7人を供養しています。この一揆により御蔵米500俵が放出され、住民は飢えから救われました。足元に名前が刻まれた7体のお地蔵様を住民はずっと大切にしていて、毎年8月26日に祭礼を催し、その日は地蔵様を直に拝顔できます。
珠姫様が祈願に通った観音通りには、町家様式の建物が軒を連ね、伝統を大切に守り毎日を丁寧に暮らす住民の生活が垣間見られます。人々は金沢市と「まちづくり協定」を締結し、地域全体で金沢らしいコミュニティの維持に努めています。
長谷山観音院の麓には、何世代も地元の人々に親しまれてきた米屋さん、醤油屋さん、乾物屋さん、ボランティアさん常駐の「東茶屋休憩館」が続いています。
この道を散策してみては、どうでしょうか。
(白井 雅代 英語 石川県)