【通訳ガイドレポート】JFG地方だより <奈良県宇陀市>
2024.9.15
奈良県宇陀市は奈良の大仏の東大寺から南の方へ20km行ったところで、周囲には2700年前に神武天皇が即位した橿原市、日本のふるさと明日香村、卑弥呼畿内説の桜井市などがあります。また三重県との県境にも位置し、赤目四十八滝の名張市は隣町です。最寄り駅は近鉄大阪線榛原(はいばら)で、大阪の難波駅から1時間、京都駅から1時間30分、名古屋駅からは特急も使い2時間です。
宇陀の歴史ですが、古事記に記されるほど古く、市内には神武天皇の築いた日本最古の城跡や、倭媛命が天照大神を伊勢にお連れする道中に天照を祀られた場所もあります(*注)。興味深いお話があります。明日香に朝廷が置かれていた推古朝の頃、薬狩り(薬草摘み)という宮中行事が定期的に行われていましたが、その行き先が宇陀でした。薬狩りが行われていた場所だからでしょうか、ここの名産に葛根湯で知られる葛があります。そしてこの地からロート製薬、アステラス製薬(藤沢)、ツムラなど日本を代表する薬品会社が出ています。この事は1400年前からスタートしていたのですね。
平安時代初めの象徴的な場所は、女人高野とも呼ばれた室生寺です。この辺りは元々は龍神のいらっしゃる聖なる場所として知られていたようです。皆さんご存じの通り、貞観文化(日本独自の様式の始まり)の代表作の仏像やお堂で有名で、屋外では日本一小さい五重の塔もあります。この五重の塔は朱塗りの檜皮葺でたおやかな美しさを見せています。仏像自体は平安前期らしく一木造りの仏様がたくさんいらっしゃいます。
奈良(大和)は鎌倉時代までは、藤原氏の興福寺の荘園でした。宇陀でもそうですが、南北朝時代には荘園を管理していた荘官たちが武士となり治めるようになります。その後戦国時代に宇陀は高山右近が幼少期を過ごしていたり、秀吉の配下に置かれたり、また江戸時代には信長の次男の信雄を祖とする織田藩が4代(約80年間)に渡り治め、その後は幕府の直轄地になりました。
尚、南北朝時代に築かれた大宇陀地区の秋山城ですが、中世の土城だったのが秀吉のころに礎石と瓦葺の近世のお城へ変貌します。最近の発掘調査でかなり立派な造りだったことが判明しています。その城は松山城となり、家康の時代に廃城・破却となるのですが、その任を幕府から命じられたのが小堀遠州でした。『小堀遠州が造った〜』はよく耳にしますが、その反対は初めて聞きました。この松山城跡は現在も発掘調査中で、大宇陀道の駅近く整備された山道(600m-徒歩15分)を登るとたどり着きます。
江戸幕府第8代将軍徳川吉宗は、享保の改革の国策の一つとして漢方の国産を後押しし、全国で薬草の育成に適した地を探させています。その調査に協力尽力したのが大宇陀で、その歴史は現在も森野旧薬園に受け継がれています。
これらの場所は、平成18年に松山地区約17haが重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。散策される際は、大宇陀道の駅を起点にされることをお勧めします。重要伝統的建造物群保存地区といえば、橿原市(近鉄大和八木駅近く)にあの堺と対比される今井町があります。大宇陀の松山地区は城下町としての街並み、今井町は寺内町として街並みがありますので、実際に歩き比べられて町の性格の違いなどを肌で感じるのも面白いかもしれません。
さて、ここ宇陀市は山間部に位置しますので、残念ながら土砂崩れなどにも見舞われてきました。その土砂崩れからの再興と対策を兼ねたユニークな場所をご紹介します。室生山上公園芸術の森です。室生寺の対岸を登って行ったところにあるのですが、現代アートの世界が展開されています。瀬戸内海の直島などアートの島々が評判を呼んでいますが、ここはダニ・カラヴァンの手によるものです。最近は若者たちの間で人気のスポットになっていて、1200年前の室生寺の世界とのコントラストが際立つ、おすすめの場所です。
ところで、宇陀の観光は結構歩きます、疲れます。でも是非大宇陀温泉(あきのゆ、美榛苑)で体を癒してください。トロトロ感満載の非常にいいお湯が楽しめます。市内には気軽に入浴できる施設が2カ所、そして近くの曽爾村にもおかめの湯という大変人気の源泉掛け流しの入浴施設もあります。
(*注) 史実については諸説あります。
(相馬泰子 スペイン語 奈良県)