侍から見える日本
2019.4.15
「何故、他人の為に命を捧げないといけないのか?」
バスの中で侍の説明をしていると、外国人観光客が尋ねてくる事があった。一瞬にして、一同全員が私を見つめている。私は「忠誠心からです。」と答えつつ、次の言葉を探している。
侍のイメージは先行しつつ、その生き方については実際のところ、どれだけ私達は知っているのだろう?
少なくとも、私自身はあまり掘り下げて考える事は無かった。
観光客も関心のある侍について、もう少しうまく説明ができないものか。
参考図書やIT情報等から武士の歴史他、概念や信念に触れてみた。
そもそも、武士の教え、武士道とは何処から来たのか?
日本における宗教・教えは、神道に始まり、その後6世紀に仏教と儒教が伝来され、規範となる道徳が構築されていく。この様な教育背景の中、歴史は12世紀に入り鎌倉幕府による封建制度が始まる。主君に対して、主従関係を結び、政治的にも絶対従順が強いられる。又、江戸時代には形を変え、幕藩体制の元、力関係は更に明確にされていく。この封建社会と共に武士階級の中で、発展した理念が武士道といえる。
つまり、武士道、その徳というのは、仏教、神道、最終的には儒教の影響を強く受け、封建社会で形成された教え方であると考えられている。
次に、武士道には従うべき『武士道七つの徳』がある。これらの定義を概念として挙げていくと、外国の人に何となくイメージしてもらえるかもしれない。
① 義 Justice : 損得を嫌い、人として正しい行いをする。
② 勇Courage : 犬死ではなく、義を行う勇気を持つ。
③ 仁 Mercy : 思いやり、憐みを持つ。
④ 礼 Politeness : 他を尊重し、謙虚さを持つ。
⑤ 誠Sincerity : 嘘をつかず、言った事を成す。
⑥ 名誉 Honor : 恥を知り、名を尊ぶ。
⑦ 忠義 Loyalty : 主君への忠誠心。
中世ヨーロッパの騎士道(Chivalry)と重なる徳もいくつかある中で、やはり突出して外国人の理解を超える難解な信念が⑦忠義ではないかと思う。
彼等の忠誠心の解釈には諸説あるが、数冊の書籍を読みつつ、自分なりに答えを導いた結果、次の様に辿りついた。
西洋は個人主義である為、主君と個人には別々の利害が認められる。一方、日本では古来より個人・家族・組織・国家は一つであり、その利害は一体のものであった。ここに、神道の教義である忠君という考え方が吹き込まれ、武士道の忠誠心が完成されたと考えられる。この様な考え方が、特有の社会と宗教において規約的なルールとして、当時の武士に義務感として存在したのではないだろうかという事である。主君の為、つまり家族の為、国の為、自分の信じた殿、領主に命を捧げるのが正しい事である、そうすべきであると。
これ程の忠誠心は他国には見られず、それ故「理解不能である」と言われても仕方がない。
実際、私にも理解できない。
その他の徳については、その時代、武士達が大事にしてきた倫理観ではあるが、もしかすると極端さは無くなりその形こそ変わってはいるものの、今日の日本の生活に普通に見られる事なのかもしれない。
例えば、外国人が日本に来て驚く事が多々ある。
「日本にはゴミが落ちていない。」と言う。これは、日本人が綺麗好きであると言う見方もあるが、ゴミをそこらに捨てる事は、良くない、見られると恥ずかしい、という感情が常識的に備わっている。
又、「人々は親切で謙虚である。」と言われる。これは、私達が思いやりを持ち、他人を尊重すべきだと思っているからである。
他、「日本人は約束を守る」「列に並んで待つ」等、感心して帰国の途に着く人も多い。
『武士はこうあるべし』と言う彼らの極端な考え方は、現代人の私たちから見ても、未だに理解できるものではないが、いくら時代が変わっても同じ日本と言う土地に生き、『こういう事は良くない』『こうする方が美しい』という、今日の日本人が大事にしている思いについてはそれ程変わらないのではないかという思いがした。
(李 瑞江)
※参考図書等の情報によって、武士の側面について記した個人的なエッセイである事を御理解頂けたら、幸いに思います。
※参考文献:「武士道と修養」「Bushido」新渡戸稲造
「武士はなぜ腹を切るのか」山本博文
「武士道」山岡鉄舟、他