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【通訳ガイドレポート】研修会レポート
< 国宝づくし ~ 建築からひもとく犬山の秘密 ~ > 

2025.5.15

犬山市は愛知県北部に位置し、人口は約7万人。豊かな歴史と文化を持ち、2つの国宝「犬山城」と「如庵」(茶室)を有している。中山道と木曽街道に通じるこの地は、政治や経済の要衝として古くから争奪が繰り返されてきた。今回の研修では、犬山城が現存最古の天守であることを科学的に証明された麓和善先生(名古屋工業大学名誉教授)の講演を聞き、その後、城下町を散策、有楽苑や犬山城を見学した。

 

1.「国宝犬山城天守の創建に関する新発見」(麓先生による講演)
犬山城天守は、従来1・2階が先に建造され、後に3・4階が増築されたと長年考えられてきた。しかし令和3年「年輪年代法」という手法により調査が行われ、この説が覆された。これは木材の年輪幅から伐採年を割り出す科学的手法で、その結果、1階の柱の伐採年が1585年、4階北側床梁が1588年であることが判明した。さらに他の部材の推定伐採年代や大工道具の加工痕などから、天守は1585年から1590年にかけて1階から4階まで一連で建設されたことがわかった。これにより犬山城は現存する日本最古の天守であることが証明された。この調査結果は、麓先生と、奈良文化財研究所客員研究員の光谷拓実氏によって2021年に新聞で発表されたものである。

 

2.城下町散策
午後は地元ボランディアガイドさんの案内で城下町を散策した。メインストリートの本町通はおしゃれな飲食店やレンタル着物店などが立ち並び、若者に人気がある。江戸時代には城下町が城の南側に広がり、中央部に町人町、その周りに武家町、防衛上の要所には寺院が配置され、外周には堀と土塁を巡らせた広い総構えがあった。当時の城下の町割りが今も残っているため価値が高い。研修では途中「城とまちミュージアム」を訪れ、1840年の犬山祭の情景を再現したジオラマを見ながら麓先生のお話を伺った。

城とまちミュージアムのジオラマ

 

3.有楽苑 
犬山城から徒歩約8分にある有楽苑は、昭和を代表する建築家・堀口捨己氏が監修した庭園で四季折々の美しさを楽しむことができる。茶室「如庵」(国宝)は千利休の弟子、織田有楽斎(織田信長の弟)によって1618年頃に建てられたもの。古暦を腰貼りにした暦貼り、細い竹を隙間なく打ち付けた「有楽窓」など独創的な工夫が随所に見られる。
如庵に連なる「旧正伝院書院」(重要文化財)は有楽斎の隠居所として建てられた入母屋造の建物で、玄関には雨避けの破風が設けられている。今回の見学では、庭園は川瀬様、福田様に、如庵と旧正伝院書院は麓先生にご案内頂いた。

 

如庵(画像提供:名古屋鉄道株式会社、転用・転載不可)

 

如庵(画像提供:名古屋鉄道株式会社、転用・転載不可)

 

4.犬山城
最後に犬山城を訪問した。本丸へ向かう途中には縁結びで知られる三光稲荷神社や、犬山城の守護神とされる針綱神社がある。犬山祭りは1635年に針綱神社の例祭として始まり、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。尚、犬山城は江戸時代、尾張藩主徳川義直(家康の九男)の附家老である成瀬氏が代々城主を務め、1895年から2004年までは成瀬氏の個人所有の城だったが、現在は財団法人犬山城白帝文庫が所有し、犬山市が管理している。
城内では、1585年に伐採された1階「上段の間」の柱について説明を伺った。この柱には面皮(木の表面の皮)が残っており、そのおかげで伐採年が判明した。また1588年伐採の4階北側床梁についてもご説明頂いた。尚、当時は木材が乾燥すると固くなり製材が困難になるため、伐採後寝かせておくことはなかったそうだ。また大工道具の加工痕などについても詳しくお話頂いた。研修当日はあいにく曇天で肌寒かったが、参加者からの質問は尽きることなく、先生にはその一つ一つに明快にお答え頂いた。多くの学びと発見に満ちた有意義な一日であった。

 

(大喜多 昭美 英語/スペイン語 愛知県)

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