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【通訳ガイドレポート】JFG地方便り < 香川の屋島 >【NEW】

2025.9.15

香川県の観光スポットと言えば、今なお屋島・栗林庭園・琴平です。今回は屋島について説明します。屋島は高松港からの眺めがベストです。「我を見よ」と言わんばかりのその姿は、威風堂々そのものです。

 

<溶岩台地>
約1,400万年前、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込み、大規模な火山活動が瀬戸内海沿いに起きました。地表に噴出したマグマ(溶岩)は固まりその後浸食され、取り残されたテーブル状の台地「メサ」が現在の屋島です。このようなメサ地形は屋島のみならず、五色台・城山(きやま)・小豆島・豊島等でも見られます。ちなみにメサ地形やその付近では、例えば庵治(あじ)・小豆島・犬島・櫃石島・広島(丸亀市)・本島では、当然のことながら良質の花こう岩を生み出す採石場があります。

 

660年に百済は唐・新羅の連合軍に滅ぼされました。百済は日本に救援をもとめてきたので朝廷は軍を送りましたが、白村江の戦で唐・新羅軍に破れてしまいました。その後、唐・新羅の攻撃にそなえて、朝廷は西日本各地に山城を築きました。その一つがこのメサ地形を利用して築かれた「屋嶋城(やしまのき)」です。この時代、屋島は島でした。海岸線は、高松琴平電鉄長尾線の「林道駅」あたりまで入り込んでいました。この古代山城「屋嶋城」の一部は復元されています。山城跡へ行くには、屋島寺の四天門と仁王門を通り抜け南へ直進し、すぐ東へ左折します。

(仁王門)

 

左折後10分ほど、林の中を東へ直進すると、道の右側に屋嶋城への案内板が見えます。

(案内板)

 

ここでは、古代山城の城門や石垣そして眼下にひろがる風景を楽しむことができます。

(屋嶋城の石垣)

 

<屋島寺>
四国霊場第84番札所である屋島寺は、標高292mの南嶺の台地上にあります。
創始は唐の僧鑑真が大宰府から奈良へ向かう途中、753年北嶺に堂宇を建てたことに始まるといわれています。その後815年に空海が北嶺にあった寺を南嶺に移し、千手観世音を刻み本尊として安置しました。

 

仁王門を出てすぐ右折し西方向へ遊歩道を歩いていくと、数匹の野生の狸に出会うことがあります。
さらに西へ歩くと、正面に瀬戸内海・女木島・男木島・高松の港と街を見下ろせる展望台に出ます。そしてそこから振り返ると、この壮大な眺めを独り占めできる全長約200mのガラス張りの回廊「やしまーる」があります。この展望台そして「やしまーる」からの「日没と高松の夜景」は絶景!です。

(やしまーる)

 

<源平屋島の合戦>
「那須与一・扇の的」で有名な源平古戦場は、屋島の溶岩台地の山頂付近とか屋島寺あたりではなく、高松の街からは見えていない(裏)側つまり屋島の東側(牟礼町)に位置しています。というのは、平氏はこのエリアに本陣を構えていたからです。その古戦場へ行くには、高松琴平電鉄志度線の「八栗(やくり)駅」で電車を下車することになります。平安時代頃には、海岸線はこの八栗駅の近くまで入り込んでいて狭い湾となっていました。この「海岸線と湾」エリアで合戦が繰り広げられました。しかし現在ではこの湾の一部は埋め立てられて住宅街となっています。

 

この八栗駅のすぐ近くには、平氏の矢に射抜かれて義経の身代わりとなった「佐藤継信(つぐのぶ)の墓」や「平氏の総門」があります。県道36号「高松・牟礼線」をもう少し海に向かって歩くと、洲崎(すざき)寺があります。佐藤継信の亡骸をその寺の門扉にのせて源氏の本陣まで運んだといわれ、継信の菩提寺となっています。その他、那須与一が扇の的を射るとき海中の岩の上で駒を止めたといわれる「駒立岩」、「義経弓流し跡」などたくさんの史跡が残っています。

 

しかし、源平古戦場跡の位置ははっきりしていても、細かい出来事の場所を特定することはむずかしいと思われます。合戦は1185年の出来事であるし詳細な資料も無いからです。また、松平頼重(徳川家康の孫で徳川光圀の兄)が1642年に高松藩の初代藩主として水戸藩から讃岐へ移って来ました。そしてその彼が江戸時代の「主君への忠義」という価値観をもって合戦の古戦場を整備したからです。

 

<イサム・ノグチ庭園美術館>

那須与一が扇の的を射るとき岩に向かって祈ったといわれる「祈り岩」を過ぎてから、県道36号「高松・牟礼線」を右へそれて5~6分程歩くと、イサム・ノグチ庭園美術館(高松市牟礼町牟礼)に着きます。

彼は1969年から約20年間NYと行き来しながら、この地でアトリエと住居を構え和泉正敏をパートナーに制作に励みました。
またイサム・ノグチは広島の平和大橋・西平和大橋をデザインし、丹下健三とも友人です。

 

<ジョージ・ナカシマ記念館>
八栗駅から国道11号線を約5~6分東進すると、右側に「株式会社桜製作所」があります。同じ敷地(高松市牟礼町大町)内にジョージ・ナカシマ記念館があります。

(ジョージ・ナカシマ記念館)

 

ジョージ・ナカシマは1964年、彫刻家・流政之の薦めで来日し高松に来ました。そして高松の「讃岐民具連」に加わり制作活動をしました。彼は建築設計の仕事もしており、その関係で丹下健三とも友人です。

 

屋島については他にもたくさんありますが、このあたりで閉じたいと思います。

(宮西 比呂志 英語 香川県)

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