研修会レポート-名古屋城本丸御殿について
2020.5.15
日本のお城の大多数は明治維新の時に廃城になって壊されてしまい、江戸時代以前からの現存天守は12城のみです。その内、国宝天守閣は姫路城、彦根城、松本城、松江城、犬山城です。元の名古屋城は1945年に爆撃で焼けてしまいましたが、実は1930年に城郭建築の国宝第1号に指定された日本屈指の名城でした。名古屋市は2009年から本丸の復元工事に着手。9年余りをかけた工事が2018年6月に完成し一般公開されています。
今回、実際に復元模写に携わられた専門家の方に、障壁画の復元模写とオリジナルの絵師集団狩野派についてのお話を伺いました。古典の復元模写というのは日本古来より伝わる技法を取り戻し継承することであり、彩色方法や彩色材料を探ることでもあります。
名古屋城本丸御殿は代表的な近世書院造の建物です。主なものは玄関遠侍の間、表書院、対面所、上洛殿です。それぞれに、障壁画が施されています。幸運なことに、空襲の3か月ほど前にオリジナル1049面の重要文化財の障壁画が城内の耐火倉庫に保管されて難を逃れました。また、たくさんの本丸御殿の古写真が残してありました。昭和5年国宝に指定するために行った調査で、引手金具から金具隠しまで徹底的に写真が撮ってあったのです。
復元するにあたり、このような資料から新たに写真に撮り実物大に伸ばしました。それを基に日本画的カーボン紙を使用して下絵を描き、膠などを使って金箔を貼り、そこに顔料と膠を混ぜたもので彩色していきます。大きな木の幹などは金箔を部分的に貼らずに彩色を行います。箔足(箔と箔の間の格子状の模様)に至るまで再生を試みます。
絵画のモチーフのランクは走獣、花鳥、人物、山水の順に上がっていきます。また、画法についても同様に金地濃彩画から水墨画へと格が上がっていきます。まず、本丸御殿の遠侍の間には虎の絵があります。穏やかな虎の夫婦の子育てシーンが草イチゴとともに描かれています。有名な竹林豹虎図です。原画は1615年に描かれたものです。次に、表書院一の間には桜花雉図があります。部屋の真ん中に立つと絵画がパノラマのように広がって見えます。雉は国鳥で、中でもアルビノが特に縁起がよいとされ、絵画によく登場します。そして、対面所には風俗画が書かれています。最後に、将軍家光の1634年の上洛に合わせて増築された上洛殿には、水墨画で帝鑑図が描かれています。帝王としてのあるべき姿を現した中国の故事に倣った絵です。作者は狩野派の天才狩野探幽です。
これらを描いた狩野派とは、桃山、江戸時代などに活躍した当時の権力者のお抱え絵師集団です。狩野派は、時代の権力者に仕えて戦国の世を生き延び、江戸時代になると探幽が幕府の御用絵師となるなど、室町時代から約400年の間一派は繁栄しました。絵具には、群青に藍銅鉱、緑に孔雀石等の大変に高価な顔料を使いました。金地濃彩や水墨画のモチーフを確立し、パターン化して、今日のゼネコンのような役割を果たしました。
(田澤 宏子 英語)