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研修会レポート ‐船で巡る東京2020オリンピック施設と江戸から続く東京の街づくり

2020.10.15

はじめに:東京オリンピックの競技会場の約半分は、東京湾に集中しています。東京湾の開発は、近年に始まったことではなく、江戸時代から現在に至るまで継続的に行われ、東京の街づくりと密接な関係にあります。お客様に「あの建物は何?」と聞かれたら即答できないと!というだけでなく、東京の街を水面から見ることで、その成り立ちや歴史をいつもと違う角度から理解する。1月に行われた船上研修は、有意義な学びの機会となりました。

研修は隅田川~東京湾のクルージングを専門とする会社のご協力を得て実現。日本橋の船着場(写真)から出発し、日本橋川から隅田川へ出た後、豊洲運河、東雲運河を通過し、辰巳(水泳競技)、有明(バレーボール、体操)、お台場(ビーチバレー、トライアスロン)の会場を水上から見学。さらに東京国際クルーズターミナル、晴海の選手村も間近で見て、日本橋に戻る2時間弱のコースを、ガイドさんの立て板に水の説明を聞きながら巡りました。

 

江戸の町が埋め立てによって大きくなったのは有名ですが、日本橋を出てしばらくの間は、その名残を地名や地形に見ることが出来ます。築地近くの「新川」は江戸時代に新しく作った水路(最初の橋=「新橋」と同じ理屈)、茅場町はその名の通りカヤの茂る湿地帯、亀島川はかつての海岸線の跡、築地本願寺は浅草から移転してきた寺で、幕府が土地を与えて埋め立てさせたなど、出だしから普段のガイディングにも使えそうなトリビアが盛り沢山!隅田川に出て、江戸時代の埋め立て地・石川島(当時は人足寄場、石川播磨重工業の工場用地を経て、今は高層マンション)を見て、越中島~豊洲・東雲へと向かいます。これは東京湾の埋め立て地が拡大していったのと同じ順序で、埋め立ての歴史は、江戸期/明治期/明治末期~戦後/高度経済成長期/昭和末期/平成の6期に分けられます。江戸期は市中のゴミを利用して越中島近辺まで、明治期は東京港の水深確保の工事で出た土砂で佃島・月島・勝どきを埋め立て、豊洲は関東大震災の瓦礫処理で出来たそうです。オリンピック会場の辰巳、東雲、有明エリアは主に高度経済成長期に埋め立てられました。平成期には羽田空港の拡張埋め立て工事が行われました。

今回は船の上からオリンピックアクアティクスセンター、有明アリーナ、有明体操競技場など8つの競技施設・会場を見ましたが、特に目を引くのは有明アリーナでしょう(写真)。凹型の独特な形状の屋根は、周りのマンションに日光が反射しないための工夫とのこと。内装や屋根の構造材など木材の使用率が高いのも特徴で、14都道府県から集められた杉材を使用しているそうです。

東京にはなぜ大型クルーズ船が寄港しないの?とお客様に聞かれたことがある人もいるかもしれません。水深わずか2mと遠浅の東京湾は、大型船が利用できる国際港として大きく遅れを取りました。現在、小型客船しか利用できない晴海客船ターミナルに替わって、22万トンクラスの世界最大級のクルーズ船が寄港できるように、レインボーブリッジの外海側に東京国際クルーズターミナルが準備中です(写真は1月の工事中の様子)。当初は7月14日の開業予定でしたが、現在延期中。今年の9月を目途に新型コロナウィルスの収束状況を見て判断されるそうです。

オリンピックが来年開催されるのか、現段階ではわかりませんが、お客様が戻って来る日のために、オリンピックを通して大きく変わる東京を、しっかり見つめ記憶していかなくてはなりません。

(楠 あかね フランス語)

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